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せとうち花壇

過ぎゆけば夏の暑さも忘れたり忘れることもありがたきかな

村上 宗子  夏になれば口ぐせのように「あついね、あついね、今年は特別あつい」、と言いあっていたのである。事実、今年の暑さは観測が始まって以来とか記録破りとか言われていた。よくよく私たちの生活を考えてみれば、暑い季節と寒い時があってこそ、春夏秋冬の美しさ、人間生活の日々の楽しさが倍加するのである。...(06/09/16) 全文 >>
 

いくたび目か転居の知らせ友より来る島を抜け得ぬわれ笑うごと

池本滝子  「あなた、また家移りをしたの、これで何度目か知ら、」と独り言を言いながら、住所録を丁寧に訂正をしているのである。いつ会っても、あっけらかんとした彼女の面輪を想い浮かべている。...(06/09/02) 全文 >>
 

戦争の日は詠むまいと思いつも夏が呼び来る兵の幻

村井 計巳  この8月15日で61回目の終戦記念日を迎えた。この終戦(玉音放送)の日を何処で何をしていて聞いたであろうか。大本営が発表すること、命令することは、当時の国民はなんでも信じきっていた。「撃ちてし止まん」「欲しがりません勝つまでは」、目の前の幻想が音を立てて崩れ、まさに天地動転の出来ごとであった。気がついてみれば、日本全土が焼土となり、広島・長崎に原爆投下は人類始って以来の悲惨、地獄絵で...(06/08/19) 全文 >>
 

緑陰に身を置きて見る営門跡「歩調とれっ」の号令聞ゆる

村井 計巳  「歩調とれっ」、かつて兵役に身を置いていた者にとって、この一声は身の引き締まる思いがするのである。営門とは、軍隊の居住している兵舎、居住区域の通用門である。この営門には数人の営兵が任務についており、許可なしには一人の兵も部外者も通れない。この「歩調とれっ」の声が聞える時は、兵隊の一団が隊列を組んで通行するときである。...(06/08/05) 全文 >>
 

イラク戦に徒(かち)ゆくを見ず行軍の夜に日を継ぎし日ははるかなり

村井 計巳  サダム・フセイン政権の打倒に、米英が仕かけたイラク戦争(2003-2005年)のニュース画面を見て作者の戦争体験から見た感慨を述べているのである。60-70年という歳月は世の中も人も大きく変えてきた、昔の戦争(第二次大戦)は、重要拠点から拠点への移動は、機械化部隊も一部にはあったが、そのほとんどは一歩一歩の行軍であった。...(06/07/15) 全文 >>
 

燃えさかる炎に包まる戦友を屍(しかばね)衛兵となりて見さだむ

村井 計巳  ここで言っている衛兵とは、旧日本軍隊内で使われていた、守備、警備、番人のことで、軍隊内部の規律維持にも使われていた。...(06/07/01) 全文 >>
 

南寧(ナンメイ)に先遣隊の果てたるにわれは傘寿の春を賜る

わが隊と替りて発ちし先遣隊に計りしれざり人の生死は 村井 計巳  広い中国人民共和国という地図を広げてようやくに南寧という地名を探すことが出来た、今はカタカナでナンニンとある。このときの作者(村井さん)は台湾に近い福州の地にいた。南寧は、香港(ホンコン)よりずうっと南寄りのベトナム国境に近いところである。その時の戦況がどのようになっていたのか知るよしもないが、昭和18年、19年というのは物資も輸送...(06/06/17) 全文 >>
 

兵われらみなおし黙り鞍傷(あんしょう)の馬に鞍置く空白むころ

村井 計巳  先に亡くなられた三庄町在住、村井計巳さんの詠み遺された戦争体験記に触れてみたい。名もない一兵卒としての戦争への検証と追憶である。...(06/06/03) 全文 >>
 

上官の名は忘るるもわが馭(ぎょ)しし馬の名「杉空」裡に生き継ぐ

村井 計巳  入隊するとまず、部隊長、中隊長、班長の名前を繰りかえし繰りかえし言わされて、まさに条件反射的に覚えさせられる。これほどまでにして覚えこんだ上官の名前も、長い歳月のうちには、いつしか記憶もおぼろになってくる。しかし、あの「杉空」という愛馬の名前は忘れずに直ぐ口を衝いて出てくる。「裡」は普通には衣服の裏側とも言うが、ここでは心の奥深いところをさしていて、私の心の中にあの日あのままの元気な...(06/05/20) 全文 >>
 

ふるさとの茶舗に見知りの老ありておのずと入り新茶を買いぬ

有吉 貞子  因島の出身ということで、ここの出て来る「ふるさと」と言うのは土生町である。土生町の本通りにお茶っ葉を売っている店はあの店かな・・・と、店の構えや看板を頭に浮かべることが出来る。目的の用件も終ったので、本通りをぶらぶらと歩いていてつい今年の一番茶を買いました、という歌の意味である。...(06/05/06) 全文 >>
 

宇品港をともに発ちしに置きてきし馬名「杉空」いかに果てしか

村井 計己  「ああ、もう何年になるだろうか」広島の宇品港(陸軍の輸送基地)から輸送船に乗せられて中国大陸に渡ったのである。その時に一緒に渡って行った馬、あの「杉空」はどの様にして死んだのだろうか。あれから六十数年の歳月が経った。中国戦線の中支か南支戦線までの気の遠くなるような道程を歩き続けた、そのときに行を共にした我が愛馬であった「杉空」、そのまま中国の地に置いて私のみ復員して来た。...(06/04/15) 全文 >>
 

灯台の公園にきてなつかしむ去年の五月はトベラ花おぼえし

河合 モト  去年の五月に大浜埼公園を数人の友人達と訪ねた。その時に憶えた花の名はトベラ(海桐花)であった。花の形は白く筒状をしており、鼻を近づけると、やさしいほのかな匂いであった。一緒に来た友人の中の一人に植物に少し詳しい人がいた。「これがトベラの鼻よ、いい匂いがするん」と言いながら、いまさらながらその芳香に心魅かれたのである。人間のもつ五官の一つである臭覚とはなんと有り難いことかと思いながら鼻...(06/04/01) 全文 >>
 

旧姓を呼ばれてハッと振り向けば互いにときめく同窓会

柏原 麗子  同窓会と言ってもいろいろとあって、この歌の内容から見て、小、中、高と卒業してから何十年経った再会なのであろうか。...(06/03/18) 全文 >>
 

土掘るはおのれ励ます仕事にて手を汚しつつ春肥を撒けり

小林 基美  春先のひと時が丁寧に歌われている。私たちが何かするときに、毎日の生活の糧を得るとき、いわゆる金銭もうけをする時もあれば、損得がそれほど気にならず、何かやらねば気が納まらないという場合もある。この歌の内容は後者に近いと言えよう。人間は環境やその時の気分の中身によって活き活きともなるし、ぐうたら人間にもなり得るのである。...(06/03/04) 全文 >>
 

家裏のミカン畑掘りしは猪かいまだ我とは面識なきに

岡野 幸子  「猪がいつ掘ったかしら」「私の赦しもなく侵入するとはけしからん、まだまだ面識もないのに」と、ぶつぶつ言っている。いかにも猪を人間に見立てて言っているところが、この短歌の見どころである。歌や詩は事柄や風景を只あるがままに言っているだけでは誰も立ち止まってはくれない。短歌の中には人の心をさらりと述べるときもあれば、悲哀をこめて詠むときもある。どんな場合でも読む者の心を引き止める何かが要る...(06/02/18) 全文 >>
 

去年(こぞ)一枚今年二枚の年賀当り去年よりも今年少ししあわせ

土居 瑠子  お年玉つき年賀はがきの切手が2枚当ったのである。50枚の中で1枚(80円と50円)の記念切手が当ればまずまずである。この作者は去年は1枚当った、今年は2枚当った、去年も年頭早々に縁起がいいよと幸せを感じたが、今年は2枚当った、だから去年よりもちょっぴり幸せ、と素直に自分の喜びを述べているところから素朴な人の心の暖かさを感じさせてもらった。...(06/02/05) 全文 >>
 

熟年の女三人若き日のすぎし昭和をしのぶ小正月

上村美智子  過去形の文字が多く使われている短歌である。それだけに、かろやかなところがあって新春らしいたのしい作品になっている。初句に言ってある「熟年」とは、現在はなんとも思わずに使われているが、この言葉が世に出たのは、昭和五十年前後だろう。言葉は時代と共に作られ、また死語にもなるもので、日ごろからよく使われている「大衆」という語も明治の中ごろに使われるようになったようだ。...(06/01/21) 全文 >>
 

大事なく過ぎたる去年を幸せと朝光(かげ)のなかに四方(よも)仰ぎ立つ

安川二三子  初日の出が毎年のように拝めるものではなく、雨の朝も曇りの朝もある。歌のなかに朝光とあるから、よく晴れた日にちがいない。「ああ有り難いありがたい」と独りごとを言いながら、晴れ渡った空を見上げている。特に「私」の体は、病院通いをしてはいるが流感にもかからない、まあまあの年であった。また、身内の者(子供達)にも心配するようなことも無い一年であった。加齢と共に体力の衰えるのは仕方ないことだが...(06/01/07) 全文 >>
 

しめ縄に稲穂啄む雀ごの三羽もおればいかにか愉し

池田 友幸  元旦とはまことにめでたく、会う人ごとに挨拶を交しあう。カラスが鳴いても雀が飛んでいてもみんなおめでたい。人のこころはそれぞれの受けとり方で不幸とも幸せとも見えるのである。この雀を題材に歌ってはあるが新春早々の祝(ほ)ぎ歌と言えよう。近ごろは大方の家の玄関先に付けられてあるしめ縄飾り風景である。このしめ飾りに四、五本の稲穂が結び付けられてある。この稲穂を見つけて三羽の雀がしきりに突っ突...(06/01/01) 全文 >>
 

マニキュアの指そのままに大根のはざまの草をしばらく取りぬ

村井多美子  ごく日常的な歌で誰でもが体験する内容ではあるがちょっとした心のゆらめきを感じさせてくれる作。...(05/12/17) 全文 >>
 

一本の石蕗(ツワ)の花にぞ見とれたり歳を重ねて分かることあり(05/12/17)

通院の自動扉が音もなくわが通る背後を遮断しており(05/12/03)

だんだんと夫という荷がのしかかり一人で三脚重くてならぬ(05/11/19)

プランターに鋏と熊手を買いこみて百円ショップを勇み出て来ぬ(05/11/05)

なんとなく豊かさもたらすコスモスのわが家の秋は嗚呼(ああ)終りたり(05/11/05)

難読の地名と言われる御調(みつぎ)郡消える日近づく尾道に合併(05/10/15)

夜店にてもらう夫生れし日の新聞・戦争一色の昭和十九年(05/10/01)

汝が秘密埋めいし場所か今年また住処(すみか)のごとくヒガンバナ咲く(05/09/17)

生きゆくは淋しきことよ病める身に黒き雨のしきりに臭う(05/09/03)

断崖から身を投じたる沖縄の主婦の映像ひえびえと見る(05/08/20)

平和ってこんなに明るいその夜に電灯の黒い布を外しぬ(05/08/06)

あと一本摘果仕終えて帰らんと麦藁帽子深くかぶりぬ(05/07/16)

十六粒の大豆に一日生きられる戦没学徒兵の遺せし一首(05/07/02)

蜜蜂がカナブン連れて来る朝を私の中のバラ時間はじまる(05/06/18)

刈ればやと思いながらに打ち過ぎし土手の豆草種黒ずみぬ(05/06/04)

トラックに道をゆずられ犬とわれ今日も一日よい日になりそう(05/06/04)

足羽の山は吾知るホツツジの下に本読む君を見るごとし(05/05/21)

木の下で花のジュータンそっと踏む黒の靴にも春がいっぱい(05/05/07)

友六人招待すればわが庭に桜の花びら屋根越えて来る(05/05/07)

荷造りに今はやすやすとテープする縄もて結ぶ亡き父(ちち)の手想う(05/04/16)

草ひけばときに飛び出す長いもの大ミミズの如きに肝冷やしおり(05/04/02)

サクラソウ五鉢にかまけアロエみな一夜の冷えに萎えてしまいぬ(05/03/19)

この島に水軍の末裔偲ばれて村上の姓の人の多さよ(05/03/05)

足裏にざくり音立つ霜柱仕事がかりの二の足を踏む(05/02/19)

「雪やこんこん」曲流しつつ灯油屋が凍てつく夕べの路地をめぐれる(05/02/05)

在りし日の父の常宿「長命館」窓越しに見て温泉津(ゆのつ)の町過ぐ(05/01/22)

元旦は九十頁の新聞のために大き目の受け箱を置く(05/01/01)

ぴっしりと絵馬に願いを書きつらねスペース不足嘆く高校生(05/01/01)

日の丸の小旗を振りて父送る小学四年の駅思い出す(04/12/25)

レモン畑のみどりの風を吸いこめば猛暑に疲れし臓腑洗わる(04/12/11)

好物の柿の実みつけただけなのに麻酔銃は有無を言わせず(04/12/11)

気がつけば今日は私の結婚記念日せめて口紅濃くひきてみる(04/12/04)

首のまわりほのかに軽く暖かし娘のプレゼントのネックレス付ければ(04/11/27)

外さない夫の表札子の名前五人家族がいま一人となりて(04/11/27)

気遣える末娘と園を歩めるはいつよりのこと自ず静けく(04/11/20)

故障した電気スタンド買い替える小さき夢を抱きて眠る(04/11/20)

寒空を舗道にながなが人の列たどればそのさき宝クジ売る(04/11/13)

数増せる血液サラサラとうレシピ元の二人となりし厨に(04/11/06)

上原謙の写真身につけ似ていると言わせたき老このごろ見えず(04/10/30)

赤い柄(がら)少し勇気の要りしこと着たからと言って何事もなく(04/10/23)

目つむりて一人の秋に浸りたし七歳四歳一歳の孫(04/10/23)

足悪き伯母の縋る手引き登る「なあーんと大きい」鳥取砂丘(04/10/16)

夕風の波止場に来れば船虫らわれの歩幅に群れて退ぞく(04/10/16)

七十年過ぎ来ておもう住みこみの徒弟となりし十四歳の春(04/10/09)

朝食を六杯食べし友と登りパワーの違いを見せつけられる(04/10/02)

一緒にいて心地よき人と疲れる人 私は夫にとりどちらだろうか(04/09/25)

遠くより帰る娘を待ちいそいそと手許あやうく魚を捌く(04/09/18)

紅葉の盛りを降りつむ粉雪に林の径の夢のごとしも(04/09/18)

在るというこの刻の間がいとおしくなお生きんとぞ朝粥綴る(04/09/11)

道の駅に盛られて涼しきナシ・リンゴ買わないはずの旅の荷重し(04/09/04)

まとまった預金おろせば局員が オレオレでないかと問う目真剣(04/08/28)

炎天に筒葉となれる柑樹の陰気化されそうな男がひとり(04/08/21)

どっしりと大地踏みしめ妊婦ゆく ヒマワリの咲く真夏の海岸(04/08/14)

口いっぱい桑の実含みしわが十二歳 今日十二歳の殺人を聞く(04/08/14)

草刈機に響動(どよ)もしながら刈り進む畑は絨毯(じゅうたん)のごとく替れり(04/08/07)

新盆に甥(おい)姪(めい)孫に迎えられ長生きせし母いかに眺めん(04/08/07)

宅配を受けし荷物の熱かりし開けば中まで残暑のぬくもり(04/08/07)

食卓の真中にメロン一つ置き清楚にありて一人の安らぎ(04/07/31)

ネムの花煙れるように夜に入り叱咤の声かホトトギス鳴く(04/07/31)

通勤の電車の席に少女子はただひたすらに化粧なしおり(04/07/31)

三歳のウルトラマンに助けられゴジラの私は足が痛くて(04/07/24)

切りましようなんて気軽く言う医師のポケットにキャラクターボールペン(04/07/24)

六月の雑草との戦いに破れたり草生の底にトマト光れる(04/07/24)

クーラーのタイマー押して眠るなり薄き夏布団に生きるよろこび(04/07/17)

草の海さらさら風の吹き渡りいまにも郭公の鳴きそうな朝(04/07/17)

ゆっくりと反対側から無表情の電動シニアカーが道路をハイジャック(04/07/10)

河川敷に花壇作られアジサイが川の流れに色を添えいる(04/07/03)

澄みきりし五月の風も鶯も草刈るわれにまつわりつける(04/06/26)

多々羅橋見上ぐる岬を鯉泳ぎ天涯の青にわれを放てり(04/06/26)

胸深く願いはあれど「かかえ地蔵」に遠く手合せ触れざりし旅(04/06/19)

廃船の係留されている波止に佇ち背中を見せる男がひとり(04/06/12)

老いの身を忘れて「はるみ」の苗木植える新芽伸びきて肥料をやりぬ(04/06/05)

接待をする人も遍路も雨のなか憂さは見せずに笑顔交せり(04/06/05)

吟行会に遊びし友はすでに亡く記念のギボウシ(擬宝珠)十年咲きつぐ(04/05/29)

シャリシャリと亡き夫真似ての包丁研ぎ光は増せど切れ味悪し(04/05/29)

青空を低飛行するジャンボ機は大きく鮫(サメ)のごと頭上をよぎる(04/05/22)

赤き緒の下駄が箱の片隅に真っ新(さら)のまま半世紀過ぐ(04/05/22)

サクラ咲く時よりも尚うれしくてミカンの花の香二人占めする(04/05/15)

いずこより散り来しものや紫の藤の花踏む天主への道(04/05/15)

長雨にチュウリップは花閉ざしおり閉ざされしままに輝きており(04/05/08)

髪を梳く朝一度きりの吾に少し宵の桜の妖しさ欲しき(04/05/08)

贈られし雑魚の干物を佃煮に一尾いちびの黒き目いただく(04/05/01)

目に見えて孫らはおぼえる目に見えて 我は忘れるめぐる月日よ(04/04/24)

帰り来し猫が廊下を歩いてる ちょっと気どってモンローウォーク(04/04/17)

身を飾ることなく生きしに宝石の通販カタログ今日もまた来る(04/04/10)

パンジーの先から白い蝶翔ちて花びら二枚欠けてしまいぬ(04/04/03)

因島を離れゆく娘のさみしさを慰めるごと桜咲きたり(04/03/27)

置き薬・喪服・六法・香典帳 有るを忘れしありがたき一年(04/03/20)

他人(ひと)ごとと聞き流したる噂話 めぐりて恐ろし我が名も出てて(04/03/13)

すぐ横の放置畑の病害虫 べったりもらう我が家のミカン木(04/03/06)

いまだ見ぬ大将軍町とはどんな町 友住む地名を番号簿に探す(03/12/20)

信号が続いて青であることを吉兆としてペダル踏みつぐ(03/11/01)

NHK「朗読さんぽ」「まるごと因島」放映中(03/09/27)

NHK朝の朗読さんぽ 因島百景を歌った「 まるごと因島 」放送のお知らせ(03/09/20)

麦藁もて母が手作りのホタル篭 遠き記憶のよみがえる夏(03/07/05)

枯葉浮く海辺の井戸より貰い来し 水は日を経ても床の間にある(03/05/03)

十六年の苦節をこめて握手する候補者の頬の陽焼けて削げおり(03/04/12)

時間かけ 作りしお節(せち)を空にする 息子の食べっぷり 我の幸(03/02/08)

元旦の計の一つのダイエット 小倉最中(おぐらもなか)に又目をやりぬ(03/02/01)

商店街 右も左も店閉ざし 無気味に静けし足早やに行く(03/01/25)