廃船の係留されている波止に佇ち背中を見せる男がひとり

掲載号 04年06月12日号

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島田 義治

 廃船といえば、戦後から昭和三十年ごろにかけて、港にも海岸にも木造船の残骸や性能が悪く、使用期限ぎれのような錆っいた鋼船(貨物専用)がつながれ放置されていたものだった。現在でも性能が悪く利益性の悪い船は係船され、解体されるようである。

 この歌に出て来る波止場は、何処か地方のかつては栄えていた港町の突堤かも知れない。錆びついたままつながれている鉄の船の五百トンか千トンの貨物船が頭に浮んで来る。

 この歌の「男がひとり」とは、少々思わせぶりなところもあり、まさか作者自身のことでもないだろうが、若いころに胸をたかぶらせて見たことのある古い洋画の一場面を思わせるようなところがあって、かつての名画や名優を想い浮かべるのである。

 黄昏どきか波止場に「ひとりたたずむ男」とは、名優ジャン・ギャバンかジェームスメースンが演じている男ではないだろうか。背中をこちらに見せているところはいかにも淋しそうではあるが、めっぽうに腕っぷしは強く、物ごとに動じない判断力もあって、内ふところにはピストルをひそませているかもしれない、と想像をふくらませればきりがない。洋画の中のプロローグ(始まり)、またはエピローグ(終り)の画面の場所はイタリアか何処かの港町である。濃い霧の立ちこめている波止場に一人の男が背中を見せており、その男のシルエットが次第に小さくなっていくのである。映画の題名はとうに忘れてしまったが、記憶とは意外なところに夢をつなげているのである。

(執筆者・池田友幸

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