上官の名は忘るるもわが馭(ぎょ)しし馬の名「杉空」裡に生き継ぐ

掲載号 06年05月20日号

前の記事: “わんぱく相撲 因島予選 小学生23人 はっけよい 3人が国技館全国大会へ
次の記事: “学生が見た平成の大合併を検証 卒業論文・市町村合併 広島県豊田郡瀬戸田町を事例に【6】

村井 計巳

 入隊するとまず、部隊長、中隊長、班長の名前を繰りかえし繰りかえし言わされて、まさに条件反射的に覚えさせられる。これほどまでにして覚えこんだ上官の名前も、長い歳月のうちには、いつしか記憶もおぼろになってくる。しかし、あの「杉空」という愛馬の名前は忘れずに直ぐ口を衝いて出てくる。「裡」は普通には衣服の裏側とも言うが、ここでは心の奥深いところをさしていて、私の心の中にあの日あのままの元気な馬姿が生き生きと見えると言う意味である。

 前回の歌は、宇品の基地を発ったときの作であって、その連作の一つである。

 古い(戦中)ニュース映画に何度か見たが、軍馬が一頭ずつクレーンで宙吊りにされて、輸送船に積みこまれていた。四本の脚を空中にばたつかせながらの姿が印象に残っている。

 広大な中国大陸に渡った馬はどれほどの数か、何十万頭、それ以上かも軍隊で飼育していた数はそれほどに多い数ではなく、必要最少限であって、戦時体制に入ってから準備にとりかかったということである。一般家庭で使っていた農耕用の馬を供出させたのである。お国の為に馬も出征させるのだと言えば聞えはよいが、少額の金銭での強制供出(徴発)である。当時の入営兵士と同じように日の丸を馬の胴に巻きつけて曳かれて行く馬のニュースを見た。

 長い戦争は終っても、旅立った馬が一頭たりとも戻ったと言う話は聞かない。当時の戦事体制にそって作詞作曲された歌「愛馬進軍歌」「愛馬花嫁」「めんこい仔馬」「愛馬行」などあったが、いずれも死への進軍歌であった。

(池田 友幸)

E

トラックバック