戦争の日は詠むまいと思いつも夏が呼び来る兵の幻

掲載号 06年08月19日号

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村井 計巳

 この8月15日で61回目の終戦記念日を迎えた。この終戦(玉音放送)の日を何処で何をしていて聞いたであろうか。大本営が発表すること、命令することは、当時の国民はなんでも信じきっていた。「撃ちてし止まん」「欲しがりません勝つまでは」、目の前の幻想が音を立てて崩れ、まさに天地動転の出来ごとであった。気がついてみれば、日本全土が焼土となり、広島・長崎に原爆投下は人類始って以来の悲惨、地獄絵であった。

 去年も一昨年もまたその前の年も、戦争という体験を短歌の中に詠みこんで来た。もうこんなに空しいことをいつまでもじくじくと言うまいと思いながらも、ついつい作ってしまうのである。戦争が始まったのは昭和12年の7月7日、終ったのは20年の8月15日、丸々8年間の体験は一ぺんに脱ぎ捨てることの出来ない心の傷である。あの時は、あの日がなかったらいまの私はいないだろう。胸底から湧き出て来るのである。「夏が呼び来る兵の幻」、暗く重い言葉である。この人にとって夏とは、何であったのだろう。中国大陸という途方もない広い灼熱の大地の物資輸送、行軍、その命がけの日々に想いをはせている。

還らざる軍馬と共に焼かれたる幻あらた八月となる

村井 計巳

 「幻」という字句で詠まれてあるところから、戦友を荼毘(だび)に付したのも、愛馬を焼いたのも八月であったと言っているのである。あるとき兵役体験の4年間には平時のときの40年間以上の思いが詰まっていると言われていたのを想いだす。

(池田友幸)

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