在るというこの刻の間がいとおしくなお生きんとぞ朝粥綴る

掲載号 04年09月11日号

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末友 寛

 作者は一昨年の春、癌を患って他界した。住いは沼隈町のために、短歌交流会などでしげしげと因島に訪れていて、なかなかの好好爺であった。これから先にもう何回この因島大橋が渡れるだろうかと言いながら大声で笑いとばした。

 この歌の初句の「在る」ということは、この世の中に生きて在るということで、他の物の存在感、現実感、いわゆる自分の身を抓ってみて痛いぞ、と言うことの実在感である。私の生きられる時間はもう少ししか残っていないんだよね、と自問しながら、我と我が身をいとおしみながらの「なお生きんとぞ」である。ああ、今朝も生きとったわい、と出された粥に口を付けているのである。

生きていて何処かひかれる寺の道おいでおいでと彼岸花咲く

末友 寛

 毎年毎年彼岸花の咲く日は五日とずれないように咲いてくれる。昔は親たちが彼岸花はきれいな花だが家の中には持ち込ませなかった。この歌は病いに小康を得たときの作であって、亡き奥さんの墓参でもしているのだろうか、「おいでおいで」の一語には何故ともない淋しさが漂っている。

血圧はよしと医師の言い捨てていのち縮まることには触れず

末友 寛

 三つの歌とともに同じ作者のものであって、いずれも辞世の歌と言えよう。さらりと詠んであっても迫るものがある。白衣を着た医師のうしろ姿がドアの向うに消えていくのが見える。

 はてさて、私にはこのようなときにこう詠めるだろうかと作者への追慕の気持と同時に自問しているのである。

(執筆者・池田友幸

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