目つむりて一人の秋に浸りたし七歳四歳一歳の孫

掲載号 04年10月23日号

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土居 瑠子

 俳句や短歌を作る人は「秋」とは「もの想う季節」「寂しさをかこつ」の心境になり、一句をひねり出すという孤独感を願っているのだが、この作者はそうはいかない。可愛い孫たちを一手に引き受けている。

「ばあちゃんおしっこ」
「ばあちゃん何か食べたい」
「ばあちゃん私の服が無い」。

 縁側に坐って瞑想(めいそう)し、虫の音を聴く、と言った時間はどこにもない。息子も嫁も共働きで、一番に手のかかる年齢の孫三人を見ていると、孫がどれほど可愛くても「一人の秋」が欲しくなるものだ。しかし、この人は不思議と毎月欠かさず優れた短歌を作り出している。人間は暇のあり過ぎよりも忙しい方が心が充実するのかも。

(執筆者・池田友幸

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