イラク戦に徒(かち)ゆくを見ず行軍の夜に日を継ぎし日ははるかなり

掲載号 06年07月15日号

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村井 計巳

 サダム・フセイン政権の打倒に、米英が仕かけたイラク戦争(2003-2005年)のニュース画面を見て作者の戦争体験から見た感慨を述べているのである。60-70年という歳月は世の中も人も大きく変えてきた、昔の戦争(第二次大戦)は、重要拠点から拠点への移動は、機械化部隊も一部にはあったが、そのほとんどは一歩一歩の行軍であった。

 作者はニュースを見ながら「わしらが苦労したような歩きの兵隊は一人も居らんのお・・・」と自分の青春時代の全部を引きずりこんだ戦争の日々を重ね合わせている。

 当時は何もかもが絶対であって、全くの自由はなかった。兵科は輜重兵であって、何日まで何処へ何を何個。司令部からの命令である。気の遠くなるような広い山野を長蛇の隊列を組んで運ぶのである。参謀本部では大体のことはつかんでいるものの、明日、明後日は何が起るか不明である。まさに夜に日に継いでの行軍であった。戦争は残酷であって、行軍の中途で落伍すればそのままである。

 絶対とは言いながらも、自分の体は自分で守るしかないと思い、つねに体力の温存を考えながらの任務の遂行をしていたと言われていた。また、自分の持ち馬の手入れ、まぐさの確保、水の呑み方、三度の食事、小休止、仮眠、戦友との交わり方などに意を払っていたと言う。

 しかし、なんとかして5年という年月を生き延びて来たが、あの日々のような何日も何日も続く徒(かち)での行軍は二度としたくない。これからは「大量破壊、遠隔操作というハイテク戦争じゃよ」、と遠い日を引き寄せるように語られていた。

(池田友幸)

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