戦争

イラク戦に徒(かち)ゆくを見ず行軍の夜に日を継ぎし日ははるかなり

村井 計巳  サダム・フセイン政権の打倒に、米英が仕かけたイラク戦争(2003-2005年)のニュース画面を見て作者の戦争体験から見た感慨を述べているのである。60-70年という歳月は世の中も人も大きく変えてきた、昔の戦争(第二次大戦)は、重要拠点から拠点への移動は、機械化部隊も一部にはあったが、そのほとんどは一歩一歩の行軍であった。...(06/07/15) 全文 >>
 

宇品港をともに発ちしに置きてきし馬名「杉空」いかに果てしか

村井 計己  「ああ、もう何年になるだろうか」広島の宇品港(陸軍の輸送基地)から輸送船に乗せられて中国大陸に渡ったのである。その時に一緒に渡って行った馬、あの「杉空」はどの様にして死んだのだろうか。あれから六十数年の歳月が経った。中国戦線の中支か南支戦線までの気の遠くなるような道程を歩き続けた、そのときに行を共にした我が愛馬であった「杉空」、そのまま中国の地に置いて私のみ復員して来た。...(06/04/15) 全文 >>
 

夜店にてもらう夫生れし日の新聞・戦争一色の昭和十九年

高田市子  今年は、戦後60年という還暦年であって、新聞・テレビをはじめ諸団体においても記念行事やそれにかかわるイベントが行われている。NHKのBSでも昭和20年ということで、有名無名の知識人たちの日記・随筆が紹介されたり、体験談が放映されている。...(05/10/01) 全文 >>
 

生きゆくは淋しきことよ病める身に黒き雨のしきりに臭う

結城恵美子  作者は一昨年に亡くなられ病名は「敗血症」と聞いた。因島にも何度か来たことがあったし、ふとしたことから因島のグループに入会し、住所は広島市であった。...(05/09/03) 全文 >>
 

断崖から身を投じたる沖縄の主婦の映像ひえびえと見る

片山 哲子  今年で戦後六十年を迎える。八月十五日の正午に聞いた昭和天皇の声(玉音放送)に、一億の日本国民みんな沈痛な思い、またそれ以上の悲しみに沈んだ一日であった。...(05/08/20) 全文 >>
 

平和ってこんなに明るいその夜に電灯の黒い布を外しぬ

三島美知子  戦争中に敵の飛行機からの夜間攻撃を防ぐための灯火制限をする、灯り隠しの方策の一つである。当時は何処の家にも裸電灯が一つか多くて二個である。それに黒い風呂敷のような布切れをばっさり掛けるのだから、夜になると家の中はぼんやりと見えるくらいで細かいことは何にも出来なかった。ましてや、小学校の予習や復習はやれず「何をしとんじゃ、早く寝ろ寝ろ」と言われたものであった。...(05/08/06) 全文 >>