平和ってこんなに明るいその夜に電灯の黒い布を外しぬ

掲載号 05年08月06日号

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三島美知子

 戦争中に敵の飛行機からの夜間攻撃を防ぐための灯火制限をする、灯り隠しの方策の一つである。当時は何処の家にも裸電灯が一つか多くて二個である。それに黒い風呂敷のような布切れをばっさり掛けるのだから、夜になると家の中はぼんやりと見えるくらいで細かいことは何にも出来なかった。ましてや、小学校の予習や復習はやれず「何をしとんじゃ、早く寝ろ寝ろ」と言われたものであった。

 「その夜」とは、今から六十年前の八月十五日(終戦)の昭和天皇の戦争終結のお言葉をお聞きした夜のことである。「お母さん、もうこの黒い布外していいねえ・・・」「わあ!明るい」と言いながら座敷中を飛び廻っていたことだろう。

 其の筋(官庁、警察、役所)から「灯火管制」という制度を守れ、と言うきつい言葉を聞き実行したのはいつ頃からか記憶にない。日本中が戦争一色に塗り替えられていくなかで、昭和十五年に大政翼賛会が結成、大日本婦人会、隣組などが出来るなかでの灯火管制の制度は文句なしに守られるようになった。ときに何かの探し物や、夜なべ仕事があって黒いカバーを除けていると直ぐに隣組々長から一言のお叱りがあった。戦争中は町中におえら方がたくさんおられた。在郷軍人の会長、隣組々長、巡査警察、婦人会長、学校長などおり「欲しがりません勝つまでは」「ご無理ごもっとも」の時代で皆んな御上(おかみ)より任命された「偉いさん」であった。

 灯火管制とは何の事とか若い人にも、今の世の中にも全くの死語である。しかし、七十代以上の人々にとっては、戦争という暗い時代を想い起こさせる一語である。

(池田友幸)

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