御本宮大祭によせて八雲と日本の神社

掲載号 05年08月01日号

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 広辞苑によると「鎮座」という言葉を「神霊がその地に鎮まりいること」とある。転じて、人や物がどっかりと座を占めている。さらには、その意味をもじってユーモアをまじえ「団子鼻が顔のまん中に鎮座ましましている」という風な表現にも使われてきた。これが「鎮祭」となれば、諸神を鎮め固めるための祭儀となり、地鎮祭、鎮魂祭などとなってくる

 話が本題からそれるが、明治時代の文豪でニッポンの伝統文化を怪談物語などで世界に紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が亡くなって今年九月で百年を迎える。八雲は1850年ギリシャに生まれ、1890年に島根県松江市の旧制中学校で英語教師になり、武家の出の日本人女性小泉セツと結婚した。日本では有名な八雲だが、二歳でアイルランドに移ったためギリシャでの知名度は高くない。ところが、今回は、没後百年を迎えるにあたって生誕地のギリシャのレフカダ島で五日間に渡り、シンポジュームや演奏会、琵琶の弾き語りなどが行われる。

 多彩な行事に小泉家の子孫やギリシャ人の東洋美術史研究家らが参加して業績など語り合い、日本から参加する演奏家は八雲の「耳なし芳一」を琵琶の弾き語りで演じる。アテネのオリンピックが終った九月二十九日からであるが、八雲が「ニッポンの神社は木材で造られたピラミッドで王様の霊を鎮めるお墓である」と書き残している一節は興味深く、故桑原八千夫先生から鎮魂についての諸説を拝聴したものである。

 ところで、今年も因島・石切風切宮の大祭がやって参ります。毎年のことながら一年中で一番暑い猛暑のなかでの祭典につづく直会である。なにはともあれ「心頭滅却すれば、火もまた凉し」とばかり大げさに気合いを入れて参拝いたします。いったん鳥居をくぐると暑さを忘れ、気が引き締ってくるから不思議です。そして、尼崎市から因島市外浦町宮ノ谷に引っ越される直前のこと「なぜ、現在地に神社を造営されるのですか」と、故桑原先生にお尋ねした。すると「お地蔵さんのように道路ばたに立って、祈りや心のいやしの場にしたい」と即座に答えられた。古儀神道のイメージで対談させて戴いた最初の質問に対するこのお答えにカウンターを受け、不遜な態度を恥じいるばかりであったことを告白。以来、師と仰ぎ神道の教えを乞うたが、むしろ教道よりも御祭神のご威光、ご利益に興味があったことを後悔、反省する今日このごろである。

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