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桑原先生回顧録

御本宮大祭によせて八雲と日本の神社

 広辞苑によると「鎮座」という言葉を「神霊がその地に鎮まりいること」とある。転じて、人や物がどっかりと座を占めている。さらには、その意味をもじってユーモアをまじえ「団子鼻が顔のまん中に鎮座ましましている」という風な表現にも使われてきた。これが「鎮祭」となれば、諸神を鎮め固めるための祭儀となり、地鎮祭、鎮魂祭などとなってくる...(05/08/01) 全文 >>
 

首相靖国参拝の是非と心静かに休まる九段坂

[7月 1日] 首相靖国参拝の是非と心静かに休まる九段坂 空を突くような大鳥居 こんな立派なお社(やしろ)に 神と祀(まつ)られ もったいなさよ 母は泣けます  九段坂―と、歌い聞かされて大きくなった年代層にとって靖国神社問題を考えるとき、偏見といわれようがあの時代の教育、社会情勢から「お国のために」という思想をいまさら否定、罪悪感にさいなまれようと思う気はない。「靖国で会おう」と誓い合って戦場に赴(おもむ)いた純心な青年時代の言葉も否定するつもりもない...(05/07/01) 全文 >>
 

石切・風切大神の御使者 一願竜王社の縁起ばなし

 神仏のお参りについては、人それぞれによって考え方や順序があって面白い。私は、因島・石切宮に参拝すると、鳥居をくぐり銅製の龍の口から流れ出る清水で身を浄め、まず、一願竜王社に額付(ぬかず)く。次に本宮を通り抜けてお稲荷さん。天神さまと本宮の眷属(けんぞく=配下)さんにお参り、お許しを得てご本宮にお祈願するのが順序だと思っている。正しいのか、どうかは定かでない。...(05/06/01) 全文 >>
 

本因坊秀策殿堂入り 一期末代の縁

[2月 1日] 本因坊秀策殿堂入り 一期末代の縁  京都・顕本堂法華宗(本因坊発祥)本山寂光寺、大川定信住職=写真左=が「やあ、やあー。本因坊家ゆかりの皆さんが一同に会したわけですなあー」と、僧衣の衣擦れをさせながら控室に入って来られた。 ...(05/02/01) 全文 >>
 

謹賀新年 新春を壽ぎ皆様方のご多幸をお祈り申し上げます

 駄馬に鞭打ち、皆様方のご指導ご鞭撻のお陰をもちまして、この欄も131回目を迎えました。月に一回という連載ですから10年10ヵ月続いたことになります。古代の出雲王朝から現代の靖国神社問題など恩師桑原八千夫先生がご存命なら、どのような裁断を下されるかを自問自答しながら投影して参りました。もともと浅学菲才の身。温故知新とまでは手がとどきませんが、なにとぞご容赦願い引き続きこの欄の担当を続けさせていただ...(05/01/01) 全文 >>
 

中国と日本の考えの違い 靖国神社の招魂と鎮魂

[11月 1日] 中国と日本の考えの違い 靖国神社の招魂と鎮魂 庚午 一生  日本は第二次大戦で敗戦国となった。戦勝国側の連合軍は極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判を開いて二十八名がA級戦争犯罪人とされ、東条英機元首相ら七人に絞首刑の判決が下された。当時、戦争犯罪やそれを裁く法律などはなく、法なくして人を裁くのはリンチであり、報復であるという日本側の首席弁護人の清瀬一郎の追及に連合国側の裁判長は最後まで答えることができなかった。いわゆる日本無罪論である。...(04/11/01) 全文 >>
 

桑原家先祖本因坊秀策 囲碁界貢献で殿堂入り

[10月 1日] 桑原家先祖本因坊秀策 囲碁界貢献で殿堂入り 庚午 一生  (財)日本棋院創立八十周年を記念して東京・市ヶ谷の本院に今秋(十一月十五日)オープンする囲碁殿堂資料館に因島石切宮桑原家の先祖第十四世本因坊跡目秀策先生が殿堂入りする。古義神道本庁石切風切宮創始者故桑原八千夫先生との続柄からいえば、両親のおじにあたる。細かに説明すると、祖父母の兄は大伯父。弟は大叔父(おおおじ)。秀策は桑原家次男であったことから八千夫先生からいえば後者の大叔父である。...(04/10/01) 全文 >>
 

神社本庁から離脱した東京・渋谷の明治神宮

庚午 一生  終戦記念日を控えた八月二日のこと。明治神宮が神社本庁の傘下から離脱するという事態がおきた。二十数年前「こういうことがおきる」と予言、神社本庁の在り方を嘆かれていた桑原八千夫先生の言葉が昨日のように思い出された。同本庁は昭和二十一年(1946年)国家神道廃止に伴い設立した宗教団体で、全国の神社の大半を組織して運営してきた。しかし、その活動やリーダーシップに対する不満の声は少なくなく存...(04/09/01) 全文 >>
 

天皇を尊敬する哲学【4】日本国民と教育勅語

庚午 一生  私が終戦を迎えたのは旧制中学の三年生のときだった。敗戦国の教育制度は小・中学が義務教育という6・3・3制というアメリカ型に改正された。それにPTAというものが義務づけられ民主主義教育が押しつけられた。教育現場で教えられたのは、大衆運動が国民の正史であって、これを弾圧した過去の日本国家はわれわれの敵であるということだった。しかし、ほんの数年前までの戦争中は、日の丸を仰げ、祖国を愛せ―と...(04/07/01) 全文 >>
 

天皇を尊敬する哲学【3】三種の神器と白銅鏡

庚午 一生  お宮さんの拝殿の正面に丸い大きな鏡が鎮座されている。故桑原先生に「何を意味しているのでしょうか」と、おそるおそる愚問を投げかけた。すると「鏡はうそをつかない。そのままの姿を映し出してくれる。清め明(あか)き心も穢(きたな)き黒き心も」と、さりげなくおさとしになり、私の顔をのぞき込むようにニコリと笑われた。...(04/06/01) 全文 >>
 

天皇を尊敬する哲学【2】人間宣言と神の存在

[5月 1日] 天皇を尊敬する哲学【2】人間宣言と神の存在 庚午 一生  戦後、天皇の人間宣言があった。この宣言を待つまでもなく大昔から人間であらせられ同時にある意味で神であり、その神はゴッドとは異なるものである―と、前号で書いた。このことを故桑原先生の言葉をかりて、いま少し説明を加えておきたい。...(04/05/01) 全文 >>
 

天皇を尊敬する哲学【1】日本神話に雪がない

庚午 一生  春爛漫の新年度を迎えたといえども、世界中がテロの危険にさらされ、経済界は勝ち組と負け組に分かれ、内憂外患の国内情勢は続きそうだ。こうした世情を背景にして浅学を羞じず、菲才を顧みず天皇と古儀神道を弁ずることをお許し願いたい。あれは、二十数年も前のことでした。故桑原八千夫先生に「天の八重雲をおし分けて・・・日向襲之(ひゅうがのその)高千穂の峯に天降り」という書紀の記述を文字通り事実と思い...(04/04/01) 全文 >>
 

敗戦後の伊勢神宮 お賽銭の課税騒動 お伊勢さんの今昔【2】

[3月 1日] 敗戦後の伊勢神宮 お賽銭の課税騒動 お伊勢さんの今昔【2】 庚午 一生  新年号につづいて皇室の宗廟(そうびょう)「伊勢神宮」について雑観を述べてみたい。あれは昭和三十一年春だったと記憶している。近鉄津駅に降りると国鉄の貨物列車が目の前を通過していった。この駅は近鉄と国鉄が共有しているらしい。大阪本社から地方支局に転勤することを「都落ち」といわれていた。とはいっても、津市は三重県庁所在地で、その昔「津は伊勢でもつ、伊勢は津でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊...(04/03/01) 全文 >>