本因坊秀策殿堂入り 一期末代の縁

京都・顕本堂法華宗(本因坊発祥)本山寂光寺、大川定信住職=写真左=が「やあ、やあー。本因坊家ゆかりの皆さんが一同に会したわけですなあー」と、僧衣の衣擦れをさせながら控室に入って来られた。

案内係の日本棋院の職員が「皆様、囲碁はお打ちで…」と尋ねられた。「家系は続いていますが、碁打ちは途絶えています」と、石見(島根県)の国仁摩町から上京してきた四世本因坊道策の子孫である山崎家十三代目、山崎尚志(たかし)さん=写真右=の軽いジョークに一同爆笑。「うちも同じですねぇー」と大川さんが相槌を打った。秀策の子孫の桑原家も同じである。お互いに初対面でありながら先祖が本因坊家ということで忽ち親戚付き合いの会話になるのだから不思議である

「開式1時間前に受付下さい」という主催者側の通知であったが徳川さまがお見えにならない。十八代徳川恒孝(つねなり)さま=写真中=のことで、世が世なれば徳川将軍である。気がかりになっていたが時間が迫ったので係員に案内され殿堂資料館のオープン式場に向かった。第1回殿堂入りは徳川家康、初代本因坊算砂、四世本因坊道策、十二世本因坊秀和跡目秀策の4人。日本棋院加藤理事長のあいさつのあと、先人の功績を讃え感謝状を授与。テープカットがあったが、とうとう徳川さまの姿が見えず、式典関係者のとまどいの様子が目に映った。「下じもの者から感謝状を受ける筋合いはないとでもいうのだろうか」と、ふと頭の片隅をよぎったが、それから間もなく、げすな勘ぐりを打ちくだかれる場面に出くわした。

式典が終わって新設された囲碁殿堂資料館に案内された。そこに、ひときわ背が高く品のいい中年の紳士。お殿様だ、と一目で分かった。「秀策生誕の地因島から参りました」とご挨拶申し上げると「遅れて申し訳ない」と深々と頭を下げられた。このあとの会話は次号で紹介することにして、年の瀬も迫った昨年末のことである。徳川家からお輿入れした高松宮妃殿下の葬祭の模様がテレビで放映された。そこで祭司の徳川恒孝さまを垣間見ることができた。

(村上幹郎)

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