天皇を尊敬する哲学【1】日本神話に雪がない

掲載号 04年04月01日号

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庚午 一生

 春爛漫の新年度を迎えたといえども、世界中がテロの危険にさらされ、経済界は勝ち組と負け組に分かれ、内憂外患の国内情勢は続きそうだ。こうした世情を背景にして浅学を羞じず、菲才を顧みず天皇と古儀神道を弁ずることをお許し願いたい。あれは、二十数年も前のことでした。故桑原八千夫先生に「天の八重雲をおし分けて・・・日向襲之(ひゅうがのその)高千穂の峯に天降り」という書紀の記述を文字通り事実と思い込んでいた戦時中の青年時代の愚かさを告白した。もっとも、神代の時代に落下傘部隊であるまいし、そんなことがあろうはずがないと漠然とたとえ話とは思っていたが、日本民族の祖先に深い愛情を抱いていたから、この記述を雄渾(ゆうこん=勢いを感じる)にして素朴な民族の伝承として誇らしく微笑(ほほえま)しく感じていた。

 敗戦後のある日のこと。この疑問を中学の先生に投げかけた。すると「この高天原は地球上の何処かに求めなければならないが、私は南方説をとる。たくましい勇気のある南方民族の人達が黒潮に乗って九州に上陸したのであろう。日本神話には雪がないし、みそぎなどという風習からも裏付けられる」と答えが返ってきた。

 私は記紀を通読した。「いつのをたけび」の所で「沫雪の如く蹴散かし」という言葉を見つけた。しかし、これは単なる形容詞で、自然現象としての雪の叙述でないことがわかった。こうして北欧の物語などとは全く次元を異にしており、南方渡来説の根拠の一つに「雪」をあげてきた。

 そこで、桑原先生に「天孫降臨が神でなくて、単に人間であると日本人が思っていたとするならば御歴代の天皇が何故権威があったのでしょうか」と問い質した。先生曰く「戦後、天皇の人間宣言があった。それまでは、やっぱり神であった」と今の若い者は反論するだろう。だが、それは誤りで、天皇は大昔から人間であらせられ、同時にある意味で神の存在でもあった。その神はアメリカ占領軍の言うゴッドとは全然違う神である。天皇が人間であるのに、なぜ権威があるのか。それを書いた書物は殆どない。「何事におわしますかは知らねども」―その
有り難さは文字にせずとも、親から子へと以心伝心伝わってきた時代もあった。ところが、戦後は日本独特の幽玄な哲学や、日本人としてかけがえのないものを失いかけている。それを思うと居ても立ってもおれない気持に駆られる。

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