天皇を尊敬する哲学【2】人間宣言と神の存在

掲載号 04年05月01日号

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庚午 一生

 戦後、天皇の人間宣言があった。この宣言を待つまでもなく大昔から人間であらせられ同時にある意味で神であり、その神はゴッドとは異なるものである―と、前号で書いた。このことを故桑原先生の言葉をかりて、いま少し説明を加えておきたい。

 皇室の祖神である天照大御神は八百万(やおよろず)の神の総元締であり一番偉い神様だが、超自然的超人間的な力を振う神ではなかった。それを照明するのが天照大御神が石岩戸にこもられた話である。

 スサノオの尊が寛容な天照大御神の激怒を買ったのは神聖な織屋の中で神御衣(かむそ)を織っていたときに天斑馬(あめのつちこま)の皮を剥いで投げ込んだことによると古事記に書かれている。天照大御神が岩戸に姿を隠すと世の中は真っ暗になった。神々が相談のあげく岩屋の前で天宇受亮命(あめのうずめのみこと)がストリップショウを踊り、わいわいがやがやとにぎやかな場面をつくった。闇の中で何ごとが起きているのか心配になって岩戸をそっと開けたところ天手力男命(あまのたぢからおのみこと)が天岩戸を開いて天照大御神を連れ出し世の中は再び光を取り戻した。このお話は日本民族の善悪正邪の区別である「清く明るい心」と「穢(きたな)く黒い心」をユーモアを交えて伝えたものと思われる。

 素朴、明朗、楽天的で、残虐性を忌み遠ざける道義を尊ぶ古代日本民族の姿である。この伝統は遠き祖先から現代に至るまで続いているといえよう。万世一系は単なる血統の一系でなくして、同時に大御心の一系であると先生は言っておられた。それまでの私は日本の神々は、日本人の祖先を意味すると単純に考えていた。亡祖父母の墓の前で頭を下げ、広く日本民族全体の祖先である八百万の神を祭る神社を崇拝するのは当然のことであった。しかし、日本の神々を唯祖先のみと考えるのはたいへん軽率であったことに気づいた。

 故桑原先生は「祀る神」と「祀られる神」を大別しておられた。実に面白い分類である。つまり山の神、海の神といった神が「祀られる神」で、日本民族の祖先である神々は「祀る神」の方である。天照大神は祀られる神様であろうと思っていたがとんでもない間違いであったことに気づいた。大神が岩屋の中で神聖な御衣を織っていたことは、別の神様に捧げる為のものであったことを記紀は伝えている。その別の神様が何であったかは示していないがそれは大した問題ではないらしい。

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