中国と日本の考えの違い 靖国神社の招魂と鎮魂

掲載号 04年11月01日号

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庚午 一生

 日本は第二次大戦で敗戦国となった。戦勝国側の連合軍は極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判を開いて二十八名がA級戦争犯罪人とされ、東条英機元首相ら七人に絞首刑の判決が下された。当時、戦争犯罪やそれを裁く法律などはなく、法なくして人を裁くのはリンチであり、報復であるという日本側の首席弁護人の清瀬一郎の追及に連合国側の裁判長は最後まで答えることができなかった。いわゆる日本無罪論である。

P1143807.jpg 処刑された七人はA級・B級・C級と分けられたが同じく靖国神社に祭られた。同神社は、英霊すなわち日本国のため身を犠牲にして働き亡くなった人たちの魂を弔慰する招魂社であるからである。ここから問題が始まる。それは首相や閣僚の靖国神社参拝をめぐってである。特に、中国側にとっては許すことのできないA級戦犯という罪人に対して日本の首相が敬意を表することを批判するわけである。それが国交友好断絶という政治外交にまで及ぼすのだから故桑原先生なら「だまっているわけにはいかない」といわれるだろう。

 日本人の場合、仏教によって死者は仏となり、お盆や命日に降霊するという便宜的な観点が通常とされ成神・成仏・降霊・招魂という立場を併存させている。ところが中国人の場合、死者はあくまでも人間としての死者であり霊魂は浮遊して再生の機会を待っている。だから墳墓に眠る遺体が人間であると思っているから墓をあばいて「その死体に鞭打つこと三百、しかるのちやむ」(史記・呉子胥伝)という記述が伝えられている。第二次大戦後も、中国大陸で小作人が地主の墓をあばいて辱しめた。日本では戦後そうした例を聞いたことがない。中国人は靖国神社に祭られた方々を神と思わず、人間の霊魂と思っているから怨みをはらそうとする文化の違いであるという人もいる。

 日本人の場合、死者は鄭重に扱われる。本来、死を忌み汚れたものと考えるが、今は問わない。すくなくとも死は死者の生前のすべてを浄化してしまうというのが平均的な感覚である。お通夜の晩、お葬式の日に死者の悪口を言うことはタブーである。もし、悪口を言う者がいたら軽蔑される。死者は成仏・成神しているので八百万の神々を持つ日本人として多くの神を祭ることに何の抵抗もない。同じ儒教文化圏でありながら日中両国民の死生観に相違があり、この文化的相違をぬきにしては靖国神社参拝問題をいくら論じても進展はないのではなかろうか。

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