天皇を尊敬する哲学【4】日本国民と教育勅語

掲載号 04年07月01日号

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庚午 一生

 私が終戦を迎えたのは旧制中学の三年生のときだった。敗戦国の教育制度は小・中学が義務教育という6・3・3制というアメリカ型に改正された。それにPTAというものが義務づけられ民主主義教育が押しつけられた。教育現場で教えられたのは、大衆運動が国民の正史であって、これを弾圧した過去の日本国家はわれわれの敵であるということだった。しかし、ほんの数年前までの戦争中は、日の丸を仰げ、祖国を愛せ―と、教えられてきた。この時代の国民はどちらが正しいか、悩んだはずである。

 六十年代は、ゲバ棒や火焔ビンを武器に警察官に抵抗する革マル中核民青など各セクトの力関係で揺れ動く一般大学において、これに迎合する多数の教授陣も存在した。健全な日本の伝統的民族精神など理解され養成することは至難なことであると思われていた。それが、戦後五十余年経った小・中学校に国旗「日の丸」を仰げ、国歌「君が代」が斉唱されるようになった。

 次は、教育勅語である。一般の詔勅と異なるのは、統治権の作用というよりは、道義を中心として明治天皇が発布されたものである。外国の皇帝や大統領の到底夢想だにできることではない。この教育勅語は占領軍とその取り巻きによって封建的遺物として曲解され廃棄されたままになっている。教育勅語を読んだこともない若者までもそのまま曲解しているのだから話にならない。

 先ず第一に封建的意味で「忠義を尽せ」とは一言もいわれていない。本文の徳目を挙げると、父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し 朋友相信じ 恭儉(きょうけん=言行を慎み)己れを持し 博愛衆に及ぼし 学を修め業を習ひ以て智能を啓発し 徳器を成就し 広益を広め 世務を開き 国憲を重じ国法に遵い 一旦緩急あれば義勇公に奉じ・・・。この十二の徳目である。何れをとってみても古今東西を通じ普遍妥当性のある道徳と考えられる。最後の項目を今の日本国憲法第九条に抵触するなどと考えるのは全く愚かなことで、もし固執している人があれば見解の相違という外はない。

 日本人はどうも海外の文化に弱いようである。よくいえば島国に一民族が住み。一つの言葉を話している。何か海の向うによいものがあるのではないかという憧憬が何千年来も潜在的にあるように思われる。山の彼方の空遠く、幸い住むと人のいう―。知らぬものに対する憧憬、明治維新もそうした背景があったといえるのではなかろうか。

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