桑原家先祖本因坊秀策 囲碁界貢献で殿堂入り

掲載号 04年10月01日号

前の記事: “混迷する合併出直し瀬戸田町長選 町議会と区町会に振り回されて 周辺市町を巻きぞえに二転三転
次の記事: “尾道地区消防組合統合 因島消防署に新看板

庚午 一生

本因坊秀策 (財)日本棋院創立八十周年を記念して東京・市ヶ谷の本院に今秋(十一月十五日)オープンする囲碁殿堂資料館に因島石切宮桑原家の先祖第十四世本因坊跡目秀策先生が殿堂入りする。古義神道本庁石切風切宮創始者故桑原八千夫先生との続柄からいえば、両親のおじにあたる。細かに説明すると、祖父母の兄は大伯父。弟は大叔父(おおおじ)。秀策は桑原家次男であったことから八千夫先生からいえば後者の大叔父である。

桑原家家系図 言うまでもなく、生まれたのは因島市外浦町宮谷(みやのたに)因島石切宮の屋敷内で万延元年(一八六〇)に建て替えられた生家は昭和四十七年に老朽化したため取り壊された。生家壊体の経緯について八千夫先生から偉大な秀策の顕彰碑と共に生家の保存運動を因島市や教育委員会に呼びかけたが理解されなかった無念さを何度も聞かされた。ところが、最近になって生家復元の話がもち上がってくるという皮肉な現象がおきている。

 いまになって―という、残念さはかくせない。秀策流や御城碁十九連勝という前人未踏の偉業を達成した秀策。後世になって本因坊―碁聖と仰がれ、近代になって漫画、アニメのキャラクターになって登場した「ヒカルの碁」で囲碁に縁が薄かった子供や婦人層に爆発的な囲碁ブームを巻き起こした。その影響で因島石切宮に隣接する秀策遺品館「碁聖閣」は全国から訪れる親子連れに桑原利恵宮司・館長は維持管理に心労が絶えない。

 第一回殿堂入りのノミネートは十五人の選考委員による投票から四人が選ばれた。京都から囲碁の家元を江戸に呼び寄せ庇護、御城碁を創設した徳川家康。本因坊家開祖の算砂。近代碁の基礎となる棋譜を遺し、その実力は十段とも十四段とも評価され、後世「碁聖」とたたえられる四世本因坊道策。そして幕末の天才棋士十四世本因坊跡目秀策。いずれも囲碁文化に花を咲かせた先人たちで、歴史を振り返り、未来にさらなる発展の場となる囲碁殿堂ホールに後世へ伝える肖像レリーフと功績が掲げられ永久に展示される。

E

トラックバック