謹賀新年 新春を壽ぎ皆様方のご多幸をお祈り申し上げます

掲載号 05年01月01日号

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 駄馬に鞭打ち、皆様方のご指導ご鞭撻のお陰をもちまして、この欄も131回目を迎えました。月に一回という連載ですから10年10ヵ月続いたことになります。古代の出雲王朝から現代の靖国神社問題など恩師桑原八千夫先生がご存命なら、どのような裁断を下されるかを自問自答しながら投影して参りました。もともと浅学菲才の身。温故知新とまでは手がとどきませんが、なにとぞご容赦願い引き続きこの欄の担当を続けさせていただきますことをお許し願います。

 今年は、テーマもがらりと一新しまして故桑原先生の大叔父(おおおじ=祖父の弟)にあたる本因坊秀策が日本棋院囲碁殿堂資料館に殿堂入りしたのを祝い特集を試みることにしました。

桑原先生の遺影胸に代参

 財団法人日本棋院加藤正夫理事長から石切風切宮敷地内にある本因坊秀策生誕地「碁聖閣」桑原利恵館長のもとに日本棋院創立周年記念式典と囲碁殿堂資料館オープンの招待状が届いたのは平成年8月のことでした。桑原館長は石切宮の大祭の都合で出席できないため代理を勤めることになった。式典の関係者との了解を得て、こまかな打ち合わせをすまし、式典の前日、八千夫先生の遺影を胸に上京した。先生がご存命なら、どんなにお喜びかと思うと無念さがこみあげてきた。

 平成16年11月15日の東京は冷たい秋雨が吹きつけていた。日本棋院にほど近い市ヶ谷のホテルに前夜から投宿、満を持していたつもりだったが、あいにくの雨でタクシーがひろえない。やむなく降りしきる雨のなか表通りへ出た。中東の大使館があるビルの付近はものものしい警備がしかれ、5分ほどで日本テレビ前に出るとタクシーが止まってくれた。地獄で仏―とは、ちょっと大袈裟かもしれないが正直なところ「助かった」という思いだった。日本棋院まで歩いて分ほどの道程だがタクシーがありがたかった。

 受付をすまし殿堂入りした先人ゆかりの招待者控室4階に案内された。間もなく四世本因坊道策の子孫である山﨑家十三代目当主、尚志(たかし)さんの家族4人が入室。昨日、島根県仁摩町へ因島の囲碁協会の方が来られて交流囲碁をしておられたようです。と、話かけてこられた。石見国(いわみのくに=島根県)で銀山経営にたずさわり代々にわたり代官を継ぐ家柄の御曹子である。

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