生きゆくは淋しきことよ病める身に黒き雨のしきりに臭う

掲載号 05年09月03日号

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結城恵美子

 作者は一昨年に亡くなられ病名は「敗血症」と聞いた。因島にも何度か来たことがあったし、ふとしたことから因島のグループに入会し、住所は広島市であった。

 「黒い雨」と言えば、広島に原爆が投下されてから一、二時間後に降った雨、放射能を含んだ雨のことである。体や衣服に付着した黒い雫は、水洗いや少しの洗剤くらいではなかなかとれなかったということである。誰でも病気になると気弱になってくる。生きる日々をしみじみと実感しながら、溜息のように漏らした一言だろう。作者との日頃の話の中では、被爆者ということは聞いてはいたが、何処でどのようにして被爆したという内容までは聞いてはいない。1936年生れとあるところから当時9歳である。

 黒い雨の降った範囲も色々と言われており、爆心地周辺のみでなく、可部や横川あたりでも雷が鳴りながら降ったと聞いた。この作者に記憶の中には、あの日の異常な黒い雨、独特な臭いのする、人体や物の焼ける臭いを含んだ雨。体調の悪い時にはしきりにその臭いが体から湧いて来たのである。

 井伏鱒二原作の「黒い雨」の映画の中には、主人公が島から手漕ぎの船で広島に戻る途中において、黒い雨が降る場面があったが、大勢の人を一度に殺戮した煙が大量の雨雲を作ったとも言われている。この日、焼けただれた死体の中を逃げまどう広島の人らにアメリカ軍機より次のようなビラが撒かれた。

  • 日本国民に告ぐ

  • 即刻都市より退避せよ

  • 「この新型爆弾は世界の何人も成し得なかった爆発力をもっており、巨大なB-29二千機が一回に搭載し得る爆弾に匹敵する・・・略」とあった。
(池田友幸)

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