七十年過ぎ来ておもう住みこみの徒弟となりし十四歳の春

掲載号 04年10月09日号

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村井 計己

 七十年前とは昭和九年のころである。早生れでなければ、尋常高等小学校二年の卒業で満十四歳であって、今で言えば中学の三年生の春から親の元を離れて小さな鉄工所や零細企業・商店などに住みこみとして働きに出ることである。

 徒弟という制度は西洋にもかなり古くからあって、日本にも江戸時代からあった。当時としては若者への技能の修得のため必要な制度であった。技量習熟のための弟子入り、後継者の養成と言えば聞こえはよいが、実際にその中に入ってみると、一口には語れないような苦労があったようだ。

 まず、小学校を出ると、親や知人・先輩の紹介によって「親方」(雇い主)の家に住みこみ、その腕をあげるために五年間の年季勤めをするのである。さらにもう一年のお礼奉公というのもあったようだ。いわゆる日本的な言い方をすると、厳しく扱(しご)かれながらの丁稚(でっち)奉公・年季奉公である。親方の持っている技量や腕前をやすやすと自分の物にするのは難しい。少しくらいの辛さは辛抱に辛抱ではあるが、親方も自分の親ではなく、やさしい人も厳しい人もいる。また先に入った兄弟子たちもいる。寝室も食事も仕事も何もかも同じであるので、気に入らないとリンチまではいかないが耐えがたいような扱(しご)きもあったようだ。

 日本では、昭和十二、三年(日中戦争)を境に戦時体制(生産様式)も変り、敗戦から戦後の高度成長、マスプロ生産への転換をして、封建時代の遺物のような徒弟制度はいつか姿を消したようである。

(執筆者・池田友幸

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