瀬戸田町長選の争点【4】住民戸惑う出直し選挙

掲載号 04年10月09日号

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 柴田大三郎前瀬戸田町長の三原から尾道へ豹変した辞職即出馬宣言は、町民ばかりか尾三自治体の関係者を驚かせた。当然、五藤康之三原市長周辺も「そんなやり方が通用するのか」と首をかしげる。そればかりか、周辺自治体の住民たちの偽らざる心境でもある。

 柴田町政の合併策はコロコロと変化し、町民や周辺自治体の混乱をもたらしてきた。平成年4月、三つの選択肢のうち尾道広域からの決別と三原行を宣言。これがすべての混乱のはじまり。つづいて三原市との対等合併を公約にして町長に当選。住民投票の結果を無視して、因・瀬法定合併協の機能を麻痺させ、因島との合併を拒否、三原広域合併参加を強引に推し進めようとした。

 ところが、町長リコール成立必至とみるや、手のひらを返して断絶状態の尾道へのかけこみを申し入れ、関係者を唖然とさせた。しかし現実は厳しく、歯車を3年前にもどすことは絶望的であった。新尾道市、新三原市は船出した。瀬戸田町は、すっかり乗り遅れ、置き去りにされてしまった。しかも、周辺自治体間での柴田前町長と瀬戸田町政の信用は大暴落。出なおし合併協議は容易でない。そもそも柴田前町長は、返り咲きに成功したとしても合併交渉相手として認知されるかどうか、定かでないとの不安もある。

 柴田陣営は打ち消しに必死だが、町民のなかでの「当選したらまた三原に変るのでは・・・」との不信感は根強い。「コロコロ町政、日替わりメニュー」と揶揄(やゆ)する町民も少なくない。政治家にとって清潔さと主張の一貫性は命であると言えよう。この一貫性の欠如こそが、この数年間の町政の混迷と混乱をひきおこしてきた。住民が信頼にたりうる新しい羅針盤を手にできるかどうか、町長選の最大の争点である。

青木忠

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