麦藁もて母が手作りのホタル篭 遠き記憶のよみがえる夏

掲載号 03年07月05日号

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朝倉 公子

 昔とは言ってもそれほどに大昔ではなく、戦中戦後のころのことで童謡でも聞えて来そうな短歌である。作者の脳裏には幼いころのいろいろな遊びと共に、在りし日の母がその年に収穫したあとの新しい麦藁を使って、するすると器用にホタル篭を編んでくれたのである。

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 まだ新しい麦藁なので、ホタル篭がピカピカ光っていていい匂いがしていたのだろう。作っている母の手許に子供たちの何人かの目がそそがれており、ホタル篭の大きさもそうだが、麦藁と麦藁の隙間が適当に開いていないとホタルのわずかな光が見えないので、作る過程での隙間作りにコツがあるのである。麦藁のホタル篭とは誰がはじめに考えたのか、麦藁は適当に湿気もあるし暗闇ではホタルの仄かな光が透いて見えるので子供たちはさぞ喜んだことだろう。麦藁を使っての遊び道具はまだ外にもあった。キリンやウマを編んだり、帯紐を編んだりした。またお盆の灯篭流しの時の十字形に縛って灯篭の台座にもした。

 この歌の結句にもあるとおりに、作ってもらったホタル篭をもって、兄や姉たちに連れられてホタル狩りに出かけたことだろう。「よみがえる夏」とあるからには、「ホウタル来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と言いながらのホタル狩りである。あの頃の因島には田んぼがいっぱいにあって、六月の中ばの雨上がり(ホタルの季節)には、あぜ道を歩いていても素手でパッとつかめるほどにホタルが飛び交っていた。その頃の因島にいたホタルはみな小さい形のいわゆる平家ボタルと言われる種類であった。この作者にとっては、ホタル篭を持って夜の田の畦を走り廻ったあの日、あの時ではないだろうか。

(砂文字・池田友幸)

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