ふるさとの茶舗に見知りの老ありておのずと入り新茶を買いぬ

掲載号 06年05月06日号

前の記事: “学生が見た平成の大合併を検証 卒業論文・市町村合併 広島県豊田郡瀬戸田町を事例に【4】
次の記事: “験乗宗総本山「光明寺」古式に則り春期大法会 全国から行者ら600人

有吉 貞子

 因島の出身ということで、ここの出て来る「ふるさと」と言うのは土生町である。土生町の本通りにお茶っ葉を売っている店はあの店かな・・・と、店の構えや看板を頭に浮かべることが出来る。目的の用件も終ったので、本通りをぶらぶらと歩いていてつい今年の一番茶を買いました、という歌の意味である。

 歌の内容はとりたてて言う程でもない、誰にでも作られそうな日常詠である。この歌の良いところは「おのずと入る」にある。この歌の中では、老(老人)とは言っているが、実際には何歳くらいかなと想像はして見たが、店番がやれるということは、物事もてきぱきとやれるしっかりとした老なのだろうと思った。ずっと以前からの顔見知り、

「どう、お元気にやっています」
「今年の一番茶が入荷しているわよ!」

と会話がスムーズにはずむのである。「おのずと入る」は、なんとなく、自然に、無意識にとは言うものの、なかなかこの言葉は使えない。読む人を振り向かせたり立ち止まらせる自然体の言葉と言えよう。言葉の内面に一寸した気遣いが見える。

 新茶と聞いただけでも心が動いたのは事実だが、久しぶりの出会いなので話したかった。「おのずと入る」とは、そうでは無いと否定する向きもあるが、新茶を手にし、香ばしい匂いを想像している作者の喜びが伝わってくる方をとりたい。

 「夏も近づく八十八夜、あれに見ゆるは茶摘みじゃないか」の歌詞にもあるとおりに、一番茶を摘むのは、四月の終りから五月の初めにかけてである。その後の二番茶、三番茶は約一ヶ月置きくらいに摘むのがよいそうである。

(池田 友幸)

E

トラックバック