胸深く願いはあれど「かかえ地蔵」に遠く手合せ触れざりし旅

掲載号 04年06月19日号

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池本 滝子

 人間は多くか少しか誰でも悩みをもっているもので、それがいつしか忘れ薄れ解決し、また新たな悩みが顔をのぞけるのである。

 人間の業(ごう)というか欲張りから来るものが大方である。この「かかえ地蔵」の歌も、お地蔵さん私の悩みをお聞き下さいと言っており、私の胸の奥深くにはなやみごとは一杯にあります。でも、場所が遠いので今は手を合わすのみで、またの日にきっと来ますよ、と正直に旅先の思いを述べている。「かかえ地蔵」とは、願いごとが適うときには地蔵さんが軽く、利いてくれないときには重いそうである。この様な願掛け地蔵さんは日本全国の何処にでもあって、山頂に、海辺に、お堂の中に、道端川辺りに毎日の生活の中の悩み、人間関係、豊作凶作の祈り、広い意味では日本人の文化であり、祈りではないだろうか。石の地蔵さんは決して偉ぶらず万人に慈愛を振り撒いて下さる庶民の信仰の原点ではないだろう。石の地蔵さんは、特別な神通力があるのでもなく、魔力があるわけでもなく、人間の勝手な言い分をじっと聞いて下さるだけである。いつもにこにこと、半眼を開いて見つめて下さるだけで十分である。

 このかかえ地蔵さんは竹原市にあった。因島には三庄の鼻の地蔵さんがある。女性の願いはなんでも聞いてくれて、イボ取りも子授かりも利いてくれる。同じく三庄の善徳寺は、お札に体の悪いところを書きこんで地蔵さんに貼りつけると体の痛いところが治るそうである。この外に「首無し地蔵」「足長地蔵」「耳だれ地蔵」など、赤い前だれをして山門脇で膝を抱えておられる石地蔵さんもあった。

(執筆者・池田友幸

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