兵われらみなおし黙り鞍傷(あんしょう)の馬に鞍置く空白むころ

掲載号 06年06月03日号

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村井 計巳

 先に亡くなられた三庄町在住、村井計巳さんの詠み遺された戦争体験記に触れてみたい。名もない一兵卒としての戦争への検証と追憶である。

 戦争続行への武器爆弾・食料の一切を輸送する「輜重(しちょう)兵」科の一人であった。ようやくに東の空が白みはじめた時刻に上官の号令一つの伝達である。朝食もそそくさと済ませての行動である。誰も私語一つ発する者はいない。馬具の皮と皮との触れ合う音が聞えるのみである。

 兵隊たちも連日の兵站(へいたん)地から兵站地への移動での疲れを幕舎での仮寝でなんとかしているが、馬も生き物である。背中についた荷の重さと擦れによる傷は見るもいたいたしい。西部劇映画でもよく見かけるが馬具(鞍)との間にはクッションとして何かを敷くのであろうか、人間の床擦れと同じようなものだとも聞いた。挽馬は元々おとなしい馬ではあるが、傷の手当ても充分ではないので、鞍をおくときには、二人で押えていないと飛び上がって嫌がるそうである。兵隊も命がけだが、物言わぬ馬も同じである。

 赤紙一枚の召集令状で戦場に駆り出された私達は人間扱いはなんとかされてはいたが、参謀本部から見れば、「兵隊」という消耗品であった。ましてや軍馬は傷を負ったり、病気に患り役に立たなくなると、射殺して焼却するのみである。兵隊もまた、戦死は荼毘(だび)に付すしかなかった。

(池田 友幸)

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