緑陰に身を置きて見る営門跡「歩調とれっ」の号令聞ゆる

掲載号 06年08月05日号

前の記事: “いんのしま水軍まつり火祭り8月26日海祭り8月27日
次の記事: “学生が見た平成の大合併を検証 卒業論文・市町村合併 広島県豊田郡瀬戸田町を事例に【14】

村井 計巳

 「歩調とれっ」、かつて兵役に身を置いていた者にとって、この一声は身の引き締まる思いがするのである。営門とは、軍隊の居住している兵舎、居住区域の通用門である。この営門には数人の営兵が任務についており、許可なしには一人の兵も部外者も通れない。この「歩調とれっ」の声が聞える時は、兵隊の一団が隊列を組んで通行するときである。

 彼の頭の中は、いま六十数年前のあの日あの時にタイム・スリップしているのである。初年兵のころには班長(軍曹)殿の号令一つで歩調を揃えての演習場への行き戻りが脳裏に蘇って来ているのである。

 彼の所属する部隊は何処にあったのだろうか。戦略的なねらいからか、旅団・師団から、横数字で部隊名が呼ばれ、広島県、島根県、山口県は九州地域と同じく西部軍○○部隊と呼ばれていた。輜重(しちょう)隊であるので、当時の軍都は近くでは広島市ということになる。広島には近親の者も多く入隊した。歩兵、工兵、砲兵、電信兵、騎兵などあった。

 この歌の冒頭にある「緑陰」のことばは、夏のはじめ頃ではないだろうか、所用があって広島の地に下り立ったのである。広島の町は八月六日の原爆投下の被害によって跡形もなく壊滅した為に市内の様相は一変した。輜重部隊の在った営門は何処だろうかと、当時を思い浮かべることの出来る何も残っていなかった。道路や周囲の状況から、営門の在った所はプラタナスの街路樹が数本立っている位置かと、号令と歩調の音にひき戻されながら、何の希望も持てなかった初年兵の日々を想い浮かべながら眺めている。

(池田友幸)

E

トラックバック