一緒にいて心地よき人と疲れる人 私は夫にとりどちらだろうか

掲載号 04年09月25日号

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高田 市子

 さらりとした詠いぶりが読む者のこころをとらえるごく日常的な素材と言えよう。外での友人関係、家族との生活をとおしての作者のこころの有りようと生き方を見せているのである。短歌作品、いわゆる一編の詩として見るときに、人間的なこころのゆらめきが見える。

 人は一人では生きて行けない誰かとつねに関わりながらの毎日である。家の内でも外でも誰かと一緒にいるのである。

 この歌の「心地よき人」、「疲れる人」という全く対照的な言葉を詠みこみながら、結句のところで「私」はどちらだろうか。と述べているところは、作者のもつ素直さ、素朴さが見える。

 人間は神さまではなく、どこまで行っても生(なま)身の人間である。腹の立つときもあれば、うらみつらみも無いとは言えない。長い年月を生きておれば、恥ずかしいことも、失敗も多く体験してきたことだろう。私は多くの失敗をやらかして来たから私の長所短所をよく知っているつもりだ、と言う人もいるが、意外と自分のことは分ってはいないのである。どのように厳しく自己チェックをしてみても、他人が私を見る眼にはとうてい及ばない。

 この短歌の一番大事なところでもある。「私は夫にとって果たして心地よい妻か疲れる妻か」。視点を一寸変えれば抜け抜けとよく言う、と言われそうではある。しかし、世の誰か様に一言申し上げたいようなところもある。

 ごく日常的な夫婦の生活の中のかろやかな、ちょっぴり辛味のきいた警鐘とでも言いたいところでもあるこの短歌の原点は、友人とのお付き合いの中からぱっと掴んだものかも知れない。

(執筆者・池田友幸

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