荷造りに今はやすやすとテープする縄もて結ぶ亡き父(ちち)の手想う

掲載号 05年04月16日号

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松井 光三

 この歌の中には、なんとも言えない暖かさが見えるのである。父と子の時代を超えたような今昔物語があって、やすやすと人のこころを60年という遠い日々に引き寄せてくれる。

 昔の荷造りは、それなりの手順も技倆もさらには体力も必要であって、一本の荒縄をするりするりと荷造り箱に巻きつけながら、荷の中身にも気を配りながらの縄掛けをするのである。現在は、荷とは言ってもそのほとんどが定番に近いダンボールの箱であって、荷を納めて蓋をして、ガム・テープをさーと引いてぱしぱしと叩けばたちまち一丁あがりであって、これにて、運送屋(クロネコ・ペリカン・福通など)に電話一つで何処までも集配可能である。ときにはテープ張りにもたもたしていると手伝ってくれるときさえある。まさに流通業務の変化はめまぐるしく発展していくようだ。一個の荷造り箱は、集配、輸送、日本列島と言わず、世界の裏側まで二、三日で届く時代である。空、陸、海いずれも目を見張る高速である。

 作者は、遠くに住んでいる子供や縁者たちにハッサクでも送ってやろうかと、15キロ箱の数個の荷造りを終えて一と呼吸したところではないだろうか、宛名も書いた、テープも張った、これで良し。それにしても簡単になったものよと思いながら、ふっと、土間にムシロを敷きその上で縄の輪をつぎつぎと繰りながら箱に縄かけをしていた今は亡き父の手や太い指先を思い出しているのである。父の手の連想からこの歌が出来たのである。そう思えばよくよく見れば、わしの手も親父の手とよう似て来た、と思うこのごろである。

(池田友幸)

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