家裏のミカン畑掘りしは猪かいまだ我とは面識なきに

掲載号 06年02月18日号

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岡野 幸子

 「猪がいつ掘ったかしら」「私の赦しもなく侵入するとはけしからん、まだまだ面識もないのに」と、ぶつぶつ言っている。いかにも猪を人間に見立てて言っているところが、この短歌の見どころである。歌や詩は事柄や風景を只あるがままに言っているだけでは誰も立ち止まってはくれない。短歌の中には人の心をさらりと述べるときもあれば、悲哀をこめて詠むときもある。どんな場合でも読む者の心を引き止める何かが要るのである。

 右の猪の一首には、それほどに大きな驚きと言うものではないが、生きねばならない猪の生態と、それを見ている人間との関わりあいがさらりと覗いている。

 生口島の山に猪が出没するようになって何年くらい経ったか、15年かそれ以上かもしれない。どこかの家に飼育していた豚を飼い主が手に余って、山に放しそのまま野生化したとも言われている。豚は乳頭を10個以上もつけており、どれほどの倍率で増えているのか想像もつかない。年々に出没も多くなり、農作物への苦情を聞きはじめても久しい。そのうちに因島にも渡って来るのは時間の問題とも言われていた。しかしながら海を泳いでは来ない、来るのであれば橋を渡るしかないのでは、と言われていたが、数年前から因島の農作物の被害に遭ったと言われ、予想が現実のものとなった。

 先日も所用があって椋浦町に行ったとき、農作業者の方から、猪の被害を聞き、ミカン畑を鍬で掘った以上の深さに掘った後があちこちにあった。猪も動物である。タンパクやカルシュームの摂取が必要で、ミミズ・カナブンの幼虫を必死で探しているのでは。

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