小泉八雲と司馬遼太郎が見た「出雲のカミガミ」【15】

掲載号 06年02月18日号

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作家 庚午一生

司馬遼太郎 「語部」のうち、古事記にも出雲風土記にも出ていない、重要な事項があるというのだが、それについてはW氏はなにもいえない、といった。それでは、と私は話題を変え、出雲であった多くの人々にしたような質問をW氏にもした。「あなたのご先祖は、なんという名のミコトですか」「私の、ですか」とW氏は少し微笑み、ながい時間私を見つめていたが、やがて「大国主命です」といった。

 出雲の様子を少し知り始めた私は、これにはひどく驚かざるをえなかった。ここで大国主命の名が出るのは白昼に亡霊を見るような感があった。大国主命およびその血族は、すでに神代の時代に出雲から一掃されて絶えているはずではないか。「そのとおりです」とW氏は言った。「しかし、ある事情により、ただ一系統だけのこった。私の先祖の神がそうです」。その事情は、語部の伝承のうちでも秘密の項に属するために云えない、という。云えなければきかなくてもよい。

 とにかく、W氏によれば、神代以来、出雲大社に奉斎する社家のうちで、大国主命系、つまり出雲の国ツ神系の社家は、W家一軒ということになるのである。それはまるで敵中にいるようなものではありませんか、というと、W氏は「出雲は簒奪(さんだつ)されているのです」といった。つまり高天ケ原からきた天穂日命の第二次出雲王朝の子孫が国造(くにのみやつこ)としていまの出雲を形而上的に支配しているのが、W氏にとっては「簒奪」ということになるのである。

 私は、ようやく知った。W氏は第一次出雲王朝の残党だった。心理的に残党意識をもっているだけではなく、現に、第一次出雲王朝を語り伝えるカタリベでもあった。彼によれば、出雲は簒奪されているという。簒奪の事実を思うとき、W氏はときに眠れなくなる夜もあるという。私はおもった。W氏がこのことをいきどおって懊悩(おうのう)する夜をもつかぎり、すくなくともその瞬間だけでも第二次出雲王朝はおろか、第一次王朝でさえも、この地上に厳として存在する。この理論は、われわれ俗間の天孫族(?)には通用しなくても、出雲ならば日常茶飯で通用することだろう。ふしぎな国である。まったく。


 以上が、小泉八雲と司馬遼太郎が見聞した出雲大社と出雲の神々だが、読者の皆様から「大黒さんが祀られている出雲さんは”縁結びの神さん”とばかり思っていましたが、お伊勢さんより古いとは…」という感想文をいただきました。日本の神道はもとより、ニッポンの歴史を見直す上での参考になればなによりでございます。

(次号につづく)

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