だんだんと夫という荷がのしかかり一人で三脚重くてならぬ

掲載号 05年11月19日号

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渡辺スズ子

 ときに、町内の運動会などで二人三脚というゲームをやっているのを見かける。男女が一組になって、右左の脚をしっかり縛って肩を組み、掛け声をかけ合いながらの駆けっこである。この歌の「一人三脚」とは、歌の前後の言葉から推測すると解らないこともないが、何を言っているのかひもといてみたい。

 夫婦は元々に人と言う字のように持ちつ持たれつで対等でなくてはならない。身体も心も元気一杯であってはじめて夫婦の生活がやれるのであるから、双方の努力の積み重ねがあってこそ「二人三脚でなんとかやって来まして」と言うような、控え目な人生論的なお話が出来るのである。

 この場合は、「一人三脚」であるので夫が重くなってね、とおもしろくは言ってはいるが、実際には夫が重荷になって来た、それが年を追ってのしかかるように重くなった、という嘆きの歌である。夫が何らか理由で体調崩したり持病であったり、被爆者であったりすると、若いときはそれほど重荷とは感じてはいなかった生活の一つ一つが大変に重くなった。いわゆる全身で支えていて、一人で三本の脚をひっかついでいるのである。日ごろから泣き言一つ言わずにやってはいるのだが、短歌という言葉紡(つむ)ぎを通しての哀感がさらりと述べられてあるところが良い。


徳川家康は、人生訓のなかで次のように言っている。

人の一生は重荷を負ひて
遠き道を行くが如し急ぐ
べからず
不自由を常と思へばふ足
なし(中略)
おのれを責めて人を責む
るな、及ばざるは過ぎた
るよりまされり。

池田友幸

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