時間かけ 作りしお節(せち)を空にする 息子の食べっぷり 我の幸

掲載号 03年02月08日号

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井川三千子

 歌の意味は、母親がおいしい正月のおせちを作ろうと思って、いろいろと工夫してたっぷりと時間をかけて作ったのだが、息子はそれを見る見るうちに平らげてしまった。

 「まあ!この子たら皆んな食べて」、と思わず驚きあきれたのではないだろうか。少年から大人になっていく育ち盛りの十五、十八歳の頃は男女をとわず食べても食べても腹が減る年頃でもある。とくに学校でスポーツの部活にでも入っているとなおさらのことである。母親としては、昨年、一昨年はこれくらい作れば余るほどあったから、という算段をしての材料仕込みであった。どうやら今年の正月は昨年どおりの目論見どおりでは計算外れである。もちろんそれはおせちの量だけでなく、味つけの美味しさにもよると思われる。

 作者である母親は日ごろから息子の後姿や背の高さ、声変りなどの成長ぶりはよく知ってはいたが、あらためて息子の食べるのをまじまじと見ているのである。この空っぽにしてくれるのが母親としての幸せなんだという自信の見える歌である。また幸せとはごくありふれた日常の中にあるんだよ、という主婦の歌である。

 おせち料理は、正月の重箱詰めの料理や煮しめなどを言っており、内容も地方によって大きく違ってくる。昔は、五節句(七くさ祭、雛祭、端午祭、七夕祭、菊の節句)などに神前へのお節供料理といわれ、これを略してお節料理となった。料理の中味も、江戸時代・明治以降現代と保存食が多く使われていたが、平成の今では冷蔵庫があるので、煮メ中心から、肉類や魚類が多く使われるようになった。さらにはスーパーなどで「おせち」の名で売られるようにもなった。

(砂文字・池田友幸

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