汝が秘密埋めいし場所か今年また住処(すみか)のごとくヒガンバナ咲く

掲載号 05年09月17日号

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中西 貴子

 この作は多分ドラマ性があって、小説の切り取り部分のような一面をもっている。初句の「汝(な)が秘密」と読ませており、汝とはお前、君、あなた、とも解釈出来る言葉であるので、愛情を歌うように、他者への呼びかけに使われる。ある時期の少女期の想い出なのかも知れない。

 あのころ(少年)の彼が私には内緒で何かを隠した場所はここだった。このヒガンバナの咲いている畦道だった。実際には秘密はなんにもなかった。遠い日に想いをふくらませていると、彼が秘密を埋めていた場所に思えて来たのである。田んぼの一隅に群れて咲いている真っ赤なヒガンバナ、去年も一昨年もその前の年も、永住の栖(すみか)のように咲いてくれた。

 ヒガンバナ、マンジュシャゲ、シビトバナなど、地方によって呼び名も違っており。因島ではユウレイバナとも呼ばれている。子供のころには、あまりにも奇麗なので家に持ち帰っては叱られたものだった。秋の彼岸になると「私はここにいますよ」と言うように、ニョキッと蕾を掲げる。満開の花の時にクロアゲハが蜜を吸っている光景に出会うが、蝶が花にたわむれる、と言う表現のとおりに絵になる風景である。花が咲き始めて終るまでは一週間くらいであって、田舎の畦道伝いにつらなって咲く。ときに尾道から世羅台地を車で走ることがあるが、故里があり、昭和人の郷愁を感じさせてくれる。

まんじゅしゃげ花は葉を見ず葉は花を見ず

という句のように、普通は葉が出て一緒に花が咲くのだが。花が咲くときは葉が一枚も無いという変り種である。

(池田友幸)

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