熟年の女三人若き日のすぎし昭和をしのぶ小正月

掲載号 06年01月21日号

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上村美智子

 過去形の文字が多く使われている短歌である。それだけに、かろやかなところがあって新春らしいたのしい作品になっている。初句に言ってある「熟年」とは、現在はなんとも思わずに使われているが、この言葉が世に出たのは、昭和五十年前後だろう。言葉は時代と共に作られ、また死語にもなるもので、日ごろからよく使われている「大衆」という語も明治の中ごろに使われるようになったようだ。

 熟年とは四十代後半から六十代ではないだろうか。しかし人それぞれで個人差がある。いわゆる老年でも壮年でもなく、一つの物事に対してもホイホイとやるのでなく熟考が出来て、ものごとの判断が出来る年齢である。しかし人によって個人差があるから誰でもが熟慮断行(十分考えて思い切って行う)がやれるものではない。

 ここに集った三人の熟年女性。自分自身のことを臆せず熟慮の出来る年配だと言いきっている。女性が三人集まればにぎやかとはわかっているが、何を話しながらの若い時代の昭和を偲んでいるのかな…と思った。年齢は還暦くらいかと思われる。一人がしゃべり役で他の二人は聞き役だろうか、三人みんなが口々にしゃべっていては集まりは長続きしない。三人の一人は話し上手で他の二人は聞き上手であって頷いたり、感嘆の声を漏らしたりするのがよい。

「わたし、好きな人がいたの」
「いい人だったのに」
「そうそう」
「やっぱりそうなの」

 時々声を併せて笑いながら、神武景気・3K時代と天井知らずの好景気の時代を生きた青春時代をなつかしんでいるのだろう。

(池田友幸)

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