土掘るはおのれ励ます仕事にて手を汚しつつ春肥を撒けり

掲載号 06年03月04日号

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小林 基美

 春先のひと時が丁寧に歌われている。私たちが何かするときに、毎日の生活の糧を得るとき、いわゆる金銭もうけをする時もあれば、損得がそれほど気にならず、何かやらねば気が納まらないという場合もある。この歌の内容は後者に近いと言えよう。人間は環境やその時の気分の中身によって活き活きともなるし、ぐうたら人間にもなり得るのである。

 この歌は、少し理屈ぽくは感じられるものの、確かに私は今こうやって鍬を振るって土を掘っているが、仕事は仕事である。しかしながら(心の中で掛け声をかけながら)精魂こめてやっているのは、私そのものを励ます行為だと言っている。

「明日にしようか畑が逃げるわけでもない。」
「そうよ、お父さん今日は寒いから明後日でも」。

 二人の会話のあと、どちらも暫くおし黙っていたが、ご主人の方が何かぶつぶつ言いながら、作業衣に着替えて外に出たのである。

 「ヨイショ」「ヨイショ」の掛け声の作業、いわゆる豊作の基礎作りである春耕作業である。はじめはそろそろとやってはいたが、いつの間にか、我と我が身を励ます心意気に変って来ていた。心の有りようで人間は変れると言われているが、鍬の一と振りで人間造り、物造りの気持になれるのである。

 農耕とは汗して汚れて、きつい仕事である。野菜や果樹作りは、同じ物造りでも生き物を可愛がり育てている。春肥は夏に秋にこそ真価を表し豊作の夢を見させてくれる。この歌は終りのところで汚れも汗も忘れて一心不乱になっている作者像が見えるのである。

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