目に見えて孫らはおぼえる目に見えて 我は忘れるめぐる月日よ

掲載号 04年04月24日号

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土居 瑠子

 最近は子供の数がどんどんと減ってゆき、目の前で停車した車の中から、家族らしい子供が四、五人も出て来ると思わず足を止めて見ている、それほどに少子化の時代である。

 この歌の作者は、孫たちと(二人)同居しているのだろうか、子供たちの世話をしながら、その日々の成長ぶりを眼を細めながら、感心しながら見ているのである。

 世の中はいつの時代も日進月歩である。一年が十年二十年の早さで進んでおり、とくに電気通信的なものは高齢者にはついていけそうにもない進み方である。人間は誰でも便利なものは使ってみたい、あれもこれもやりたいという望みはあるにはあるがただその気にならないだけである。

 ここに出ている歌のように子供たちのものおぼえは眼を見張るものがある。まさに目に物を見せる記憶力である。発育盛りの子供の脳と祖母の脳のはたらきには格段の差があることはやむを得ない。この短歌のおもしろさは、子供たちのおぼえるという方と、忘れるという方と全く逆の内容を同じ言い方でまとめていることである。

 子供たちに比べて、なんと記憶力が悪く「ど忘れ」の多いことだろうか。私も若い頃にはものおぼえは良い方だったのに、電話帳など不要なくらいに三十人は暗記していたものだ、二度ほどノドの奥でころばせれば記憶できたものだった。それにしても齢はとりたくないものだ、と誰にともなくぶつぶつと言っているのである。まさに「目に見えておぼえる」孫と、「目に見えて忘れる」祖母の楽しそうな会話が聞えて来るようである。

(執筆者・池田友幸

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