いくたび目か転居の知らせ友より来る島を抜け得ぬわれ笑うごと

掲載号 06年09月02日号

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池本滝子

 「あなた、また家移りをしたの、これで何度目か知ら、」と独り言を言いながら、住所録を丁寧に訂正をしているのである。いつ会っても、あっけらかんとした彼女の面輪を想い浮かべている。

 きわめて簡単に転居が出来るということはその時々の世相もあるがそれなりの理由(わけ)がある。家族構成、勤め先、環境、年齢、健康、その他のいずれかに当てはまるのだろう。

 とは言うものの、転居の気分はどんなものだろう、知らない土地に知らない人と、私には想像だに出来ない、何もかもゼロからの出発もあれば何年住んでいても朝有の挨拶くらいで「隣りは何をする人ぞ」のような町かも知れない。

 転居ということに、あれこれと思いめぐらしながら「島に生れ、島に育ち、島に嫁して、島に老いる」若い頃から何度島の脱出を思い夢に見たことであろうか、今手のひらに乗せている一枚の転居のはがきの文字がしきりに作者に笑いかけているかのようである。この部分の笑いは、楽しい笑いにもとれるが、その反対の嘲笑(あざわら)うともとれる。

 小さな島の中では、あの人は何処の誰々さんの嫁の妹さんで、というように血のつながりや、近所づき合いもあるように、因果めいたことも、柵(しがらみ)もしきりに取り沙汰されるのが嫌な人も居るだろう

 又、若いときは都会の華やかさに憧れて島の生活から脱皮しようと思ったが、ついつい島に根っ子を下ろしてしまった。

 一枚の転居通知がしきりに語りかけて来る、ドラマチックではないが、ミニ版の「女の一生」が感じられる一首である。

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