去年(こぞ)一枚今年二枚の年賀当り去年よりも今年少ししあわせ

掲載号 06年02月05日号

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土居 瑠子

 お年玉つき年賀はがきの切手が2枚当ったのである。50枚の中で1枚(80円と50円)の記念切手が当ればまずまずである。この作者は去年は1枚当った、今年は2枚当った、去年も年頭早々に縁起がいいよと幸せを感じたが、今年は2枚当った、だから去年よりもちょっぴり幸せ、と素直に自分の喜びを述べているところから素朴な人の心の暖かさを感じさせてもらった。

 「ああ、こんなところに幸せが」、日常生活の中で誰でもが感じられ、また見過ごしたり、無感動で通り過ぎてしまいそうな幸せ、記念切手が1枚多かったということ、金額にすれば、たかが記念切手とも言われそうな些小なものでも、素直に受ける人にとっては、自ずと心のふくらんで来る、されど記念切手である。

 ライブドアの人だったか大声を上げながら金銭さえあれば何でも手に入れることが出来ると言っていたが、ここに歌われている年賀切手のような「少し幸せ」という感情は持ち合わせてはいない人種だろう。幸せとは、何処にでも転がっているようなもので、その人、人の心の有り様がそのようにさせるのであって、小さな事でも今の今を大事と受容するのがよい所である。

 年賀もいろいろで儀礼的なものは別として、年一通の年賀ハガキで繋がれている小学校からの同級生もおれば、中国の大陸で生死をともにした戦友という名の友人もいる。近頃は総じて表も裏も印刷であって味気ないものも多いが(余白の部分に)「一度語り合いたいね。」「おしゃべりをしようね。」などのボールペンによる直筆があるのも、また違った意味の心のゆらめきを覚えるのである。

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