2025年5月3日 / 最終更新日 : 2025年5月9日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【404】伝六④「好善法師墓」 伝六④「好善法師墓」 白滝山表参道の仁王門下の伝六の墓については本連載175回で記した。 ↓↓↓↓↓ ふるさとの史跡をたずねて【175】伝六墓(因島重井町白滝山中腹) その広場山側(東側)には堂守の墓が並んでいる。 中に […]
2025年4月26日 / 最終更新日 : 2025年5月8日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【403】伝六③「万時簿」 それでは、「万善簿」とは何か? その校長先生は江戸時代の郷土の教育者・広瀬淡窓の研究家で、広瀬淡窓が実践したのが「万善簿」であった。 …ということで、江戸時代の天領・日田に話は飛ぶ。 天領というのは幕府直轄地で、その支配 […]
2025年4月19日 / 最終更新日 : 2025年5月8日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【402】伝六②「万時簿」 伝六②「万時簿」 遠回りである…。 ここに『私の万時簿』(風間書房)という奇妙な表題の本がある。著者は三好信浩氏。昭和7年(1932年)大分県生まれ。昨年、福山市で亡くなられた。 この「万時簿」について三好氏は次のように […]
2025年4月12日 / 最終更新日 : 2025年5月8日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【401】伝六①伝六墓(尾道市因島重井町善興寺) 伝六①伝六墓(尾道市因島重井町善興寺) 重井町の教育について語るには、まず柏原伝六のことから話すのが良いだろう。こう書くと多くの方が意外な感じを持たれるであろう。 それでは伝六が広めた、あるいは新しく作った(私はそうは思 […]
2025年4月5日 / 最終更新日 : 2025年5月6日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【400】塚本神社(尾道市因島重井町塚本) 塚本神社(尾道市因島重井町塚本) 前回の胡神社からバス通りを北の方向に進む。因島高等学校の下を過ぎてまもなく左折すれば尾道市勤労者体育センターやHAKKOパークがある。そこで左折せずに右折して山側の農道を目指すと、すぐに […]
2025年3月29日 / 最終更新日 : 2025年5月6日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【399】えびす神社(尾道市因島重井町胡山) えびす神社(尾道市因島重井町胡山) 高速バスも止まる鬼岩は今ではすっかり有名になっている。この奇妙な名前の由来は興味ぶかいものであるが、残念ながらどこにも書いたものが見あたらない。本当の話だと信じている大人が多い、数々の […]
2025年3月22日 / 最終更新日 : 2025年4月30日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【398】奥山ダム②(尾道市因島中庄町奥山) 奥山ダム②(尾道市因島中庄町奥山) 奥山ダム周辺道路より一段下がったところに小さな公園がある。湖底公園と書こうと思ったが、「湖底に沈んだ故郷」などという悲話は日本全国にはたくさんあるのだろうが、因島ではそういう話は聞かな […]
2025年3月15日 / 最終更新日 : 2025年4月30日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【397】奥山ダム①(尾道市因島中庄町奥山) 奥山ダム①(尾道市因島中庄町奥山) 段々畑を平地にして排水路をつけただけでは近代農業はできない。降雨量の少ない因島によく合っていた薩摩芋と除虫菊の時代は終わっていた。野菜作りに必要なのは水である。そのための一つの手段とし […]
2025年3月1日 / 最終更新日 : 2025年3月7日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【396】ほ場整備記念碑(尾道市因島重井町友貞) ほ場整備記念碑(尾道市因島重井町友貞) 因島運動公園の前を通って北インターの方へ向かい、福友スズキ販売(車検のコバック因島北インター店)を過ぎると四国溶材と、はと印刷がある。その前で左折すると、大きな石碑が正面に見える。 […]
2025年2月22日 / 最終更新日 : 2025年3月6日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【395】蔵本墓(尾道市因島重井町善興寺) 蔵本墓(尾道市因島重井町善興寺) 因島村上氏の因島退去後、柏原忠安の次男、三男が川ノ本家、蔵本家を始めたのが因島柏原氏の始まりだと記した。「クラモト家は二軒ある。どう違うのか?」と、しばしば尋ねられた。私は川ノ本家の方の […]
2025年2月15日 / 最終更新日 : 2025年2月23日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【394】仲屋墓(尾道市因島重井町善興寺) 仲屋墓(尾道市因島重井町善興寺) 戦国時代が終わるやいなや二軒から出発した柏原氏が重井町を中心に多人数になったのは、江戸時代の農村社会における薩摩芋の普及にあったことは確かであろうが、それは他の苗字の家についても同様であ […]
2025年2月8日 / 最終更新日 : 2025年2月17日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【393】村上神社(尾道市因島重井町丸山) 村上神社(尾道市因島重井町丸山) 因島重井町の一本松は信号こそないが現在も各方面の道路が交わる結節点であり、どちらを向いてもそれぞれ異なる歴史を書くことができる。 今回は北を眺めて、右手の小山沿いの北に向かう路地の彼方を […]
2025年2月1日 / 最終更新日 : 2025年2月4日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【392】大出神社(尾道市因島重井町片青木上) 大出神社(尾道市因島重井町片青木上) 大出神社は重井川に沿って散歩していると見える。文化橋の少し上の辺りから見えるが逆方向になるので、上流から下流に向かって歩くと良い。一本松から下流に向かって重井川の土手を歩くと、やがて […]
2025年1月25日 / 最終更新日 : 2025年2月2日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【391】藤井神社(尾道市因島重井町片山) 藤井神社(尾道市因島重井町片山) 因島重井町の藤井氏の先祖碑は本連載第52回で紹介した、船奉行片山数馬氏の居城跡だと伝わる天秀庵城跡の横にある。あるいは島四国74番甲山寺の前だと書けばわかりやすい。これまでのように藤井土 […]
2025年1月18日 / 最終更新日 : 2025年2月2日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【390】柏原土廟②(尾道市因島重井町上迫) 柏原土廟②(尾道市因島重井町上迫) 柏原土廟に祀られている柏原忠安は因島柏原氏では記録の上で最も古く、永禄12年(1569)に78歳とあるから、因島村上氏が因島を退去した慶長5年(1600)には、当然のその子供たちの代に […]
2025年1月11日 / 最終更新日 : 2025年1月16日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【389】柏原土廟(尾道市因島重井町上迫) 柏原土廟(尾道市因島重井町上迫) 峯松神社と書いたり峯松土廟と書いたりしたので、一抹の疑問を持った方もおられたと思う。それらの方がたに安心していただける例が柏原土廟である。これは212回で紹介した柏原神社のことである。そ […]
2024年12月21日 / 最終更新日 : 2024年12月29日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【388】峯松神社(尾道市因島重井町峰越) 峯松神社(尾道市因島重井町峰越) 前回の石碑に基づけば峯松土廟と呼ぶべきかも知れないが通称に従い峯松神社としておく。土廟はお墓を連想させるが元は「おたまや」で霊を祀るところだから神社と考えても間違いではなかろう。すなわち […]
2024年12月14日 / 最終更新日 : 2024年12月19日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【387】峯松土廟道寄付碑(尾道市因島重井町峰越) 峯松土廟道寄付碑(尾道市因島重井町峰越) 白滝山への登山道は色々あるが、おそらく白滝山五百羅漢が完成されて参道が整備される以前は鐘楼から西側の尾根がよく使われたものと思われる。 岩の多い尾根だから樹木に遮られるところが少 […]
2024年12月7日 / 最終更新日 : 2024年12月17日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【386】香炉台(尾道市因島重井町白滝山) 香炉台(尾道市因島重井町白滝山) 白滝山裏参道にある子授観音の上にある白壁の内側に観音堂があり、その観音堂のご本尊の真裏に「恋し岩伝説」に対応する石観音がある。 だからその石観音にお参りするのは白壁と本堂の隙間を、あたか […]
2024年11月30日 / 最終更新日 : 2024年12月10日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【385】子授観音(尾道市因島重井町白滝山) 子授観音(尾道市因島重井町白滝山) 白滝山五百羅漢の参道は色々ある。もちろんどこの山でも地元の人たちだけが通る小道が方々にあるように、白滝山にも裏の方や鐘楼の下の方から登る道もある。しかし、ここでは一般的な参道だけを記す […]
2024年11月23日 / 最終更新日 : 2024年12月10日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【384】石灯篭その2(尾道市因島重井町白滝山) この優美な石灯篭の北面には大きく「奉寄進」(寄進たてまつる)と彫られている=写真①。 その左隣(東側)に、「尾道石工 定兵衛」とある=写真②。逆に右側(西側)には「文政十三庚寅年四月吉祥日」とある=写真③。これが事実で、 […]
2024年11月16日 / 最終更新日 : 2024年12月10日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【383】石灯篭その1(尾道市因島重井町白滝山) 白滝山山頂の展望台の登り口の前、東側に優美な石灯篭=写真=がある。眺望もまことに素晴らしく、目に入る島や山の名前を書いていたらきりがないので、因島大橋やめかりの瀬戸、備後灘、燧灘が一望できる、と書くに留める。 だから、夜 […]
2024年11月2日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【382】過去七仏その2(尾道市因島重井町白滝山) 過去七仏その2(尾道市因島重井町白滝山) 過去七仏の立っている基台を眺めてみよう。基台を構成する周辺の石には平面的なレリーフ(浮き彫り)が21体彫られている。ユニークな表情とその数には驚くほかない。 普通、仏画にしても仏 […]
2024年10月19日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【381】過去七仏その1(尾道市因島重井町白滝山) 過去七仏その1(尾道市因島重井町白滝山) 釈迦三尊像の裏をさらに山頂へ向かうと渦巻き状に配された西国三十三観音についで「過去七仏」がある=写真㊤。 十六羅漢や釈迦三尊像に比べれば、いかにも素人の製作だとわかる。しかし、よ […]
2024年10月12日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【380】四天王(尾道市因島重井町白滝山) 四天王(尾道市因島重井町白滝山) 徳川四天王というのは酒井、本多、榊原、井伊の四武将を言うようだが4という数字は東西南北の四方を守るのが戦の原則だろうから戦国武将を呼ぶのに無理がない。釈迦三尊像の四囲を囲む四天王も武具を […]
2024年10月5日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【379】文殊菩薩像(尾道市因島重井町白滝山) 文殊菩薩像(尾道市因島重井町白滝山) 釈迦三尊像の向かって右(西)側が文殊菩薩である。文殊菩薩は普賢菩薩よりはるかに有名で「3人寄れば文殊の知恵」と言って、子供でも知っている。その人気の凄さは例えば天の橋立に行っても、何 […]
2024年9月28日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【378】普賢菩薩像(尾道市因島重井町白滝山) 普賢菩薩像(尾道市因島重井町白滝山) 左右5人ずつの十大弟子に囲まれて釈迦三尊像があり、向かって左(東)側が普賢菩薩である。 島原半島の噴火で有名な雲仙岳の主峰普賢岳の名から、いかにも力強い菩薩が想像されるが、漢字を素直 […]
2024年9月21日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【377】十大弟子基台(尾道市因島重井町白滝山) 十大弟子基台(尾道市因島重井町白滝山) 十大弟子が設置されている石の台のことである。その左側の5人の台石の下に小枠があり、その中に寄進者林蔵が自ら記した文字がある。 現存する白滝山関係文書の中には、白滝山石仏群の由来を記 […]
2024年9月14日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【376】十大弟子(尾道市因島重井町白滝山) 十大弟子(尾道市因島重井町白滝山) 十六羅漢の次は十大弟子ということになる。なぜか。よくセットで語られるからである。それ以上に白滝山では十六羅漢の隣にあるからである。 しかし、知名度では格段に十六羅漢より劣る。そして全国 […]
2024年9月9日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【375】十六羅漢(尾道市因島重井町白滝山) 十六羅漢(尾道市因島重井町白滝山) 仏教の世界は平等社会かと思っていたら、如来、菩薩、羅漢という厳然たる差別がある。そのせいか各宗派の組織においても、名称は異なるものの各階層があり、より上位を目指す意志と究極の目標である […]