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伝説の碁打ち 本因坊秀策【9】その時歴史は動いた 精神性を重んじる日本人の美学

[7月15日] 伝説の碁打ち 本因坊秀策【9】その時歴史は動いた 精神性を重んじる日本人の美学  ―因島出身で後世碁聖と仰がれる本因坊秀策無敗伝説―「その時歴史が動いた」7月5日NHK総合は北朝鮮ミサイル発射のニュースが影響して低い視聴率だった。しかし、その一方で本因坊秀策に関心を寄せるファンはビデオテープに収めるなど習熟度の違いを製作者に今回の企画のお礼を述べたい。...(06/07/15) 全文 >>
 

伝説の碁打ち 本因坊秀策【8】その時歴史は動いた 精神性を重んじる日本人の美学

[7月 8日] 伝説の碁打ち 本因坊秀策【8】その時歴史は動いた 精神性を重んじる日本人の美学  「その時歴史が動いた」―因島外浦町出身の碁聖・本因坊秀策―(7月5日・NHK総合)。  文政12年、今の尾道市因島外浦町の「庄屋」?の二男として生まれた本因坊秀策。囲碁の天才・神童と騒がれ、幼名を虎次郎といった。世に語り継がれる「耳赤の妙手」は天賦の閃きとしかいいようがない。20歳にして本因坊跡目に推挙され御城碁出仕、前人未踏の十九連勝という記録を残して34歳という若さでこの世を去った。彼が残し...(06/07/08) 全文 >>
 

伝説の碁打ち 本因坊秀策【7】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその五

[7月 1日] 伝説の碁打ち 本因坊秀策【7】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその五  話をもう少し盤外の秀策について述べることにしよう。  秀策は江戸から2回目の帰郷で三原侯から増禄の沙汰もあり1年半という長い月日を国もとで過した。この間、日を定めては三原城に出仕して藩主浅野侯の相手や場内の武士たちの指導碁にあたった。もちろん、藩侯の勧めもあった三原浅野藩の本家筋にあたる安芸広島藩の儒学者坂井虎山から人の道についての訓導をうけた。そして、こんな話も残っている。...(06/07/01) 全文 >>
 

碁聖・本因坊秀策無敗伝説「その時歴史が動いた」NHK総合7月5日(水)午後10時~43分

[6月24日] 碁聖・本因坊秀策無敗伝説「その時歴史が動いた」NHK総合7月5日(水)午後10時~43分  本紙せとうちタイムズが取材協力、5月6日NHKBS2で放送した「伝説の碁打ち・本因坊秀策」を再編集した映像をもとに7月5日(水)午後10時から43分の「その時歴史が動いた、勝負師は志高く」番組キャスター松平定知アナウンサー、スタジオゲスト木村幸比古霊山歴史館学芸課長が放送される。...(06/06/24) 全文 >>
 

伝説の碁打ち 本因坊秀策【6】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその四

 弘化元年(1844)秀策16歳。のちの十四世本因坊秀和に対し一、三、五の布石を試み持碁(引き分け)の結果を残している。後世この秀策流黒先手必勝法といわれる布石は四段の免許を受けた15歳のころから試みはじめている。...(06/06/17) 全文 >>
 

伝説の碁打ち 本因坊秀策【5】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその三

[6月10日] 伝説の碁打ち 本因坊秀策【5】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその三  「赤耳」のクライマックスは前号で記したが、話を盤外に移そう。  秀策は囲碁修行のため江戸・本因坊家に入門、2回目の帰郷でなぜ、1年半という長い月日を費やしたのだろうか。修行中の16歳後半から18歳にかけての青春期は人生で最も重要な時期であるのに、あえて田舎で過している。その間、そこそこ碁は打ったとしても、どんな生活をし、どんな将来の目標を描いていたのだろうか―を推論を交え実証に迫ってみた。...(06/06/10) 全文 >>
 

伝説の碁打ち 本因坊秀策【4】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその二

[6月 3日] 伝説の碁打ち 本因坊秀策【4】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその二  世の芸事は日進月歩するもので囲碁の定石も例外でない。一石二鳥、四鳥にも「耳赤」の一手は、劣勢であった秀策の大逆転につなぐ妙手となった。その意味では「大勢上の大好点」と表現するのが適正かもしれない。...(06/06/03) 全文 >>
 

伝説の碁打ち 本因坊秀策【3】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその一

[5月27日] 伝説の碁打ち 本因坊秀策【3】初心者にもわかる名勝負 歴史に残る「耳赤」エピソードその一  前号に続きNHKBS2(5月6日放送番組制作局・東京)の「耳赤の一手」について所見を述べることにしよう。 悲運の大棋士井上幻庵因碩  後世「碁聖」と仰がれる本因坊跡目秀策の数ある金星の中で、一般的に有名なのは「耳赤の一手」である。「耳赤って何じゃいな・・・」という疑問と同時に囲碁に無関心な人にとっても「耳赤」という言葉の響きにインパクトがあるらしい。...(06/05/27) 全文 >>
 

伝説の碁打ち 本因坊秀策【2】初心者にもわかる名勝負 茫然とした名局 耳赤エピソード

[5月20日] 伝説の碁打ち 本因坊秀策【2】初心者にもわかる名勝負 茫然とした名局 耳赤エピソード  5月13日、NHK番組制作局(東京)から6日放送されたビデオ・カセットと番組協力の礼状が届いた。  秀策の生涯で囲碁史に残る名局のうち「耳赤」のエピソードほど世間にうけた話はない。「初心者にもわかる名勝負」の題名にはうってつけの話であるが、対局の内容は巷間で伝えられる「秀策快勝」の展開でなかった。  秀策苦戦の盤面に打った一手が「耳赤」のエピソードを生み、それがこの時の碁を有名にしたともいえる。...(06/05/20) 全文 >>
 

伝説の碁打ち 本因坊秀策【1】初心者にもわかる名勝負―NHKBS2放送の反響

[5月13日] 伝説の碁打ち 本因坊秀策【1】初心者にもわかる名勝負―NHKBS2放送の反響  5月5日「こどもの日」は因島外浦町出身で幕末の天才棋士、後世「碁聖」と仰がれる本因坊家十四代跡目秀策の生誕の日だった。  NHKBS2教育番組センター(プロデューサー、橋本修平氏)は、漫画雑誌「少年ジャンプ」やアニメなどで大ヒットした「ヒカルの碁」の登場人物「秀策」が全国の少年少女やお母さんたちに強いインパクトを与え一躍知名度が高くなったことから「伝説の碁打ち 本因坊秀策―初心者にもわかる名勝負...(06/05/13) 全文 >>
 

【NHKBS2】伝説の碁打ち本因坊秀策 初心者にもわかる名勝負 5月6日(土)昼0:10分-2:00

[4月29日] 【NHKBS2】伝説の碁打ち本因坊秀策 初心者にもわかる名勝負 5月6日(土)昼0:10分-2:00  この番組は、実在の天才棋士の一生をたどり、その人生ドラマを楽しみながら知らず知らずのうちに囲碁のイロハを覚えられる「体験型ドキュメント番組」です。主人公の本因坊秀策は幕末に活躍した実在の碁打ち。...(06/04/29) 全文 >>
 

脚光をあびる本因坊秀策

フリーライター 村上幹郎(3月12日中国新聞日曜エッセイから転載)  幕末の天才棋士、本因坊秀策(1829―62)にあやかって囲碁でまちおこしをしようと「市技」という耳慣れない言葉が広島県因島で誕生。今年1月10日、尾道市への編入合併でこの試みがそっくり新市へ継承された。...(06/03/18) 全文 >>
 

NHKが「秀策」特別番組 外浦「碁聖閣」などで収録

[1月29日] NHKが「秀策」特別番組 外浦「碁聖閣」などで収録  NHKは、本因坊秀策が生まれた旧暦の5月5日にむかって「伝説の碁打ち本因坊秀策」(仮題)の制作を始めた。橋本修平ディレクターら4人のスタッフは因島を訪れ、26日から31日までの6日間、秀策にゆかりのあるところの収録を行なっている。 ...(06/01/29) 全文 >>
 

幕末本因坊伝【19】秀策偉人伝の人間描写土居咲吾渡米航海日記より(2)

[11月13日] 幕末本因坊伝【19】秀策偉人伝の人間描写土居咲吾渡米航海日記より(2) 庚午 一生  尾道市が1988年3月、新幹線尾道駅開業・市制施行90周年記念に発行した市制要覧おのみちの「尾道人物誌」によると  土居咲吾(どいしょうご) 元の名は長尾幸作(浩策)。天保6年(1835)中浜で開業する医師長尾良俊の長男として生まれる。20歳で京に上り蘭学を、さらに24歳で江戸に出て英語を学ぶ。万延元年(1860)咸臨丸に便乗して福沢諭吉らと渡米、西洋医学と英学を修めた。翌文久元年(...(04/11/13) 全文 >>
 

(財)日本棋院創立80周年記念 囲碁殿堂資料館15日オープン 本因坊秀策生家所蔵遺品搬送

[11月 6日] (財)日本棋院創立80周年記念 囲碁殿堂資料館15日オープン 本因坊秀策生家所蔵遺品搬送  (財)日本棋院創立80周年を記念して東京・市ヶ谷の本院に囲碁殿堂資料館がオープンする。第1回囲碁殿堂入りするのは江戸時代に貢献した顕彰者4人で、15日午前10時30分から加藤正夫日本棋院理事長ら棋院関係者と殿堂入りする徳川の子孫で十八代徳川恒孝(つねのり)氏をはじめ初代本因坊算砂、四世本因坊道策、十四世本因坊跡目秀策のゆかり人たちが参加してテープカット、記念式典などが行われる。...(04/11/06) 全文 >>
 

本因坊秀策囲碁殿堂入り 記念切手を発行

[11月 6日] 本因坊秀策囲碁殿堂入り 記念切手を発行  因島市囲碁のまちづくり推進協議会は、本因坊秀策の日本棋院殿堂入りを記念し、記念切手2000シートを発行した。反響は大きく、全国から問い合わせが寄せられている。 ...(04/11/06) 全文 >>
 

幕末本因坊伝【12】秀策に纏わる短編集「本因坊家も手元宜しからず」

庚午 一生   碁所就位を井上因碩錦四郎に阻止されたことは、因果応報とはいえ秀和にとって無念であった。それも表向きは幕府の命令とあっては致し方なかった。...(04/09/04) 全文 >>
 

幕末本因坊伝【11】秀策に纏わる短編集「本因坊家名人碁所不許可」

[8月28日] 幕末本因坊伝【11】秀策に纏わる短編集「本因坊家名人碁所不許可」 庚午 一生  本因坊家十四世の当主となった秀和は九歳年下で二十歳になったばかりの秀策を跡目にした。秀策は備後(広島県東部)因島の出身で、幼名を虎次郎といい、江戸・本因坊家に入門して頭角を現した天才棋士である。...(04/08/28) 全文 >>
 

幕末本因坊伝【10】秀策に纏わる短編集「呉で見つかった秀策肖像画」

[8月21日] 幕末本因坊伝【10】秀策に纏わる短編集「呉で見つかった秀策肖像画」 庚午 一生  わが国囲碁史上、最強の実力者として知られる第十四世本因坊跡目秀策(1829―62)だが、秀策の棋譜百局を集めた「敲玉余韻(こうぎょくよいん)」など名局集は数多く残されているが、その実像は分っていなかった。...(04/08/21) 全文 >>
 

幕末本因坊伝【9】秀策に纏わる短編集「第十四世跡目秀策誕生旧記」

庚午 一生  棋界の頂点を目指す秀策にとって、本因坊跡目の推挙は名誉なことであり、これまで支援してきた三原候浅野甲斐守忠敬をはじめ幼少期に囲碁の基礎教育をした竹原の宝泉寺住職葆真和尚、尾道問屋筋の橋本吉兵衛竹下ら旦那衆にとっても喜ばしい話であった。だが、郷里の秀策ファンは一様に郷土の誇りと期待していた寵児をお上に取りあげられた心境で心底から歓迎するわけにいかず複雑な心境であった。...(04/08/07) 全文 >>
 

本因坊秀策囲碁まつり 賞金百万円は結城九段 小中高生の参加めだつ(04/07/31)

秀策囲碁殿堂入り記念公演 音楽劇「本因坊帰る」市民500人が楽しむ(04/07/24)

碁聖本因坊秀策を劇化「本因坊帰る」合同舞台稽古始まる(04/06/19)

(財)日本棋院創立80周年記念 囲碁殿堂資料館今秋オープン 家康ら三人と秀策が殿堂入り(04/06/05)

幕末本因坊伝【1】秀策書簡集より悲運の第十四世秀和(04/05/29)

創作劇「本因坊帰る」小学生たちが立ち稽古(04/05/15)

外浦にようこそ 新看板が完成(04/05/15)

フラワーセンター 虎ちゃんの花壇(04/04/24)

本因坊秀策小伝 市教委が発行(04/03/27)

碁聖本因坊秀策を劇化 因島市民劇団「荘園」 「本因坊帰る」上演(04/03/27)