伝説の碁打ち 本因坊秀策【9】その時歴史は動いた 精神性を重んじる日本人の美学

掲載号 06年07月15日号

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 ―因島出身で後世碁聖と仰がれる本因坊秀策無敗伝説―「その時歴史が動いた」7月5日NHK総合は北朝鮮ミサイル発射のニュースが影響して低い視聴率だった。しかし、その一方で本因坊秀策に関心を寄せるファンはビデオテープに収めるなど習熟度の違いを製作者に今回の企画のお礼を述べたい。

 こうした事情もあって、いま少し番組キャスター松平定知アナウンサーとスタジオゲスト木村幸比古霊山歴史館学芸課長の解説を補足することにしよう。

 その一つは、因島の西方対岸に浮かぶ生口島、豊田郡瀬戸田村から江戸・本因坊家へ入門していた谷本兼次郎(天保8年―明治38年)が秀策から書き与えられた扇面の漢詩が映像で紹介された。

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 この扇面が見つかったのは尾道市瀬戸田町に住む元銀行員の谷本篤さん宅。平成6年の3
月だったと記憶している。谷本さんから曾祖父の兼次郎が若い頃、江戸の本因坊家でプロを目指し囲碁を勉強したと伝え聞かされた。当時の免状などが保存されているので見分してほしい―との依頼があった。

 秀策の手紙は20通以上見ているが、碁の内容に関することを書いた書は珍しい。書体については竹雪入道に師事、秀策の特長は見分けがつく。ともかく扇面にしたためてある書を自己流に読み下してみた。

戦罷両奩収黒白 一?處有虧成  丁巳晩夏  秀策

 戦い(対局)が終わり二つの小箱(碁笥)に黒と白の石が収納される。碁盤の上には、どこも傷がついたり虧けたりしている所はないだろうか」と、盤面に感謝いたわる心がけを大切に―とでも解釈すればいいのだろうか。

棋道も礼に始まり礼に終るというのは当然のことだが、ともすると、遊芸の礼がなおざりになるのをいましめたきびしさと思いやりの詩文の心が伝わって来る。

 中国の詩を引用したのか秀策の自作かは不明であるが「対局の終ったあと優しく石を納め碁盤を見渡すくらいの気配りを心得てください」と、棋道に対する誠実な思いを兼次郎に伝えたとも思える。

 丁巳とあるから安政4年。すでに幕末の江戸は大地震や大火、黒船出没などで内外とも不安な時代に入ろうとしていた。やがて兼次郎は江戸を離れて帰郷。地方医療や囲碁の指導にあたったと伝えられる。

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