(財)日本棋院創立80周年記念 囲碁殿堂資料館15日オープン 本因坊秀策生家所蔵遺品搬送

掲載号 04年11月06日号

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 (財)日本棋院創立80周年を記念して東京・市ヶ谷の本院に囲碁殿堂資料館がオープンする。第1回囲碁殿堂入りするのは江戸時代に貢献した顕彰者4人で、15日午前10時30分から加藤正夫日本棋院理事長ら棋院関係者と殿堂入りする徳川の子孫で十八代徳川恒孝(つねのり)氏をはじめ初代本因坊算砂、四世本因坊道策、十四世本因坊跡目秀策のゆかり人たちが参加してテープカット、記念式典などが行われる。

秀策母子愛用の碁盤など貸出し

 因島市外浦町にある秀策記念館「碁聖閣」には桑原家に伝わる秀策にかかわる遺品が保管され、一般公開。全国から拝観に訪れる人が絶えない。しかし、日本棋院からたっての願いに断り切れず遺品六点を11月1日から1年間貸し出し、囲碁殿堂資料館に展示することになった。

 搬出されたのは秀策が入門したころの官賜碁所十二世本因坊丈和(花印)から出された初段免状▽秀策十六歳、寛斉と名のっていたころの弘化元年江戸で故郷を思って書いた書幅▽丈和の娘花が夫秀策の急死を悲しみ、義父輪三に書き送った書状▽母カメ宛の秀策自筆の手紙▽秀策十八歳の時、京都の華頂宮殿下より拝領した蒔絵入り脇挿木刀▽秀策母子愛用の碁盤、碁石セット。秀策最後の帰郷となった安政四年初秋、この碁盤の裏に「慎始克終(始めを慎み終に克つ)、視明無惑(視ること明らかにして惑なし)」の文字を書き遺した。家宝の一つ。

 さる11月2日に日本棋院関係者と運送会社が訪れ搬送されたが碁聖閣館長で石切宮司の桑原利恵さんは穴が空いて淋しくなった展示コーナーに目をやり「これから拝観に来る人に申し訳ないが秀策さんの江戸帰りと思って家宝を送り出しました」と、観念。このうち展示品のメインになる碁盤と碁石セットは今年末までの契約で来年正月には因島に里帰りする。

今回ノミネート 江戸時代に限定

 今回選ばれた殿堂入りの顕彰、企画展は日本棋院地下一階の囲碁殿堂ホールで囲碁発展普及に貢献した先陣の功績を記憶に残し後世に伝えるコーナーに肖像レリーフや遺品が展示される。第1回殿堂入りのノミネートは表彰委員会15人の投票で江戸時代の人物を限定して決められた。なお、来年度の殿堂入りは江戸時代と明治。再来年度以降は現代まで広げて選考する。今回の殿堂入り次の通り

徳川家康(1542―1616)

 囲碁を好み大名や豪商らに奨励。本因坊家など四家を京都から江戸に呼び寄せ扶持を与え庇護。御城碁(御前対局)創設など近世囲碁発展の碁盤づくりに貢献した。

初代本因坊算砂(1559―1623)

 一般的に知名度は低いが、近世囲碁の開祖といわれ、1603年に初の天覧碁を打ったことで知られる。日蓮宗僧侶で本因坊開祖。

四世本因坊道策(1645―1702)

 江戸前期の名人で、その実力は十段とも十四段とも評価された天下無敵の棋士。段位を整えるなど近代碁の基礎となる棋譜を遺している。

十四世本因坊跡目秀策(1829―1862)

 幕末の天才棋士で秀策流や御城碁十九連勝という前人未踏の偉業を達成。後に本因坊―碁聖と仰がれ、出生地の因島市は囲碁を「市技」に制定、町おこしを行っている。

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