松本肇短編小説Ⅴ ヤドカリの詩【42】~【48終】

信男の家出

松本肇(因島三庄町)

【42】

何処に行くあてもない。丁度入って来た電車に飛び乗った。広島駅が終点だった。糸崎、三原、本郷…周りの景色も何も目の前を通り過ぎて行くだけで信男の目に、入る余裕は無かった。

信男が乗って1時間20分程で、広島駅に着いた。

駅に降り立つと、路面電車が走っている。バスセンター行き、流川、薬研堀…行きと、行き先が書かれているが、どの電車に乗って何処に行けばいいのか信男自身にも分からない。

とりあえず横断歩道を渡って福屋の前に差し掛かると、植え込みの所で一人の女性がうずくまっていた。

「どうされましたか?大丈夫ですか」

信男が急いで駆け寄って、声をかけた。

「救急車を呼びましょうか?」

「有難う御座います。ちょっと目眩がしただけですから」

「お家はどちらですか?遠いのですか?」

信男は広島の地理の事など少しも知らないが、少しでも役に立つのならと知らぬ顔をする事が出来なかった。

「どちらの方かは存じませんが、この先のすぐ近くの『松友ストアー』まで、お願い出来ませんか?」

その女性に肩を貸して、言われる通りに歩いて行くと、店頭に看板を架けたその店は、すぐに分かった。

「おい、どうしたんだ」

店に居た主人が驚いて、飛び出して来た。

「ちょっと横になって、ゆっくり休ませて上げて下さい」

信男が、いきさつを話した。

「どうも有難う御座います。何か、お礼をさせて頂きたいのですが、もしお急ぎでなければ、中に入って頂いてお茶など如何ですか?」

信男は誘われるまま、店舗続きの部屋に上がった。


【43】

話している内に、夫婦だけでコンビニの様な食料品店を構えていて、8時~19時の営業で2人の間に、子供は居ないという事だった。

店頭に、従業員募集の貼り紙をしているのが信男の目に入った。

「すみません、僕、小野寺信男と言います。理由は聞かないで下さい。僕をここで働かせて貰えませんか?絶対にご迷惑は、お掛けしません」

信男は必死で懇願した。

「どう言った理由が有るのか知らないが、家の方が心配していると思うよ。17歳という年齢的には問題は無いが、警察が動くと誘拐、拉致監禁罪になるしなぁ」

松友武夫は、一般的に当然な返事をした。

「ここに置いて貰えなかったら僕は自殺をするしか道は無いのです。学校で長い間イジメにあって我慢していたのですが、もう今日は限界なんです」

「自殺!そこまで追い詰められているのか。分かったよ。その時は、その時の事だ。息子の部屋で良かったら、そこを使うといいよ。息子も生きていれば丁度、君ぐらいになっている筈なんだ。2年前、15歳の時に、校舎から飛び降りたんだ。相談してくれたらいいのに、そんな所を微塵も見せなかったので、私達夫婦とも全然気付かなくて、もう2人とも生き地獄の様な毎日で、当分立ち直る事が出来なかったよ」


【44】

信男の身の上に、その様な出来事が起こっているとは知らない信吉は、仕事の帰りにサイクルショツプに立ち寄っていた。

信男が乗っている自転車が、もうかなり古くなっていた。今度の日曜日に一緒に来て買う下見に来ていた。マウンテンバイク、ママチャリ、シティサイクル、六段変速式…と流石に多種多様に取り揃えていた。信男の喜ぶ顔が目に浮かぶ様だった。

「信男、遅くなって御免。自転車を見てきたぞ」

信男が通常に使っている自転車が有るのに信男の姿が見えない。

「信男、2階か?」

信吉は信男の部屋に入って机の上の置き手紙を見て驚いた。信吉にとって正に青天の霹靂だった。

信吉は履物を履くのも忘れ表に飛び出していた。

「ノブオ~、ノブオ~」

大きな声で探すが見つからない。何時しか駅に来ていた。

「誰か信男を知りませんか!」

信吉は半狂乱になって探した。翌日からは信男の写真を大きく引き延ばしたプラカードを持って駅に立った。1週間過ぎ、10日過ぎても見つからなかった。警察に届けても何の連絡も無かった。

信吉は仕事に行く気も失い、飲めない酒を煽(あお)る自堕落な生活になっていた。

見兼ねた近所の人が食事を差し入れていたが、信吉にとって信男にかけた人生が終わった最悪な出来事だった。


【45】

店の仕事は結構大変だった。人手不足が原因だが、先ずレジ打ち、入荷した商品の陳列(後入れ先だし法といって、陳列をしている賞味期限の古い商品を手前に置き、新しく入荷した商品を後ろに置く事)、商品の発注、午後6時過ぎからの弁当などの値引き、閉店後はレジを精算しジャーナルの合計金額が現金と一致しているかチェック、店内清掃をしていく毎日が続き、一ヶ月の月日が過ぎようとしていた。

「小野寺くん、一度家に帰ってみないかね。そりゃあ私達は君が居てくれるので大助かりで、まるで息子が生き返って来てくれた様な幸せな毎日だったよ。有難う。だけどね、どんなに子が親の事を思っても、子を思う親の愛には勝てない位、親は子の事を思っているものだよ。辛い事情は有ると思うけど、様子を見て、もし無理なら何時でも戻って来てくれるといいよ。私達は事情さえ許せば、このまま君に我が家の後継者になって欲しい位だよ」

朝食をしている時、武夫が信男に言った。

そう言って、新幹線の運賃だとして、一万円を手渡してくれた。


【46】

信男は松友武夫に言われて広島駅に向かった。朝の通勤ラッシュ時であり駅には多くの人が溢れていた。

信男は新幹線の切符を買い『こだま』が来るのを待った。

新尾道駅には『ひかり』や『のぞみ』は停車しない。8時13分発の『こだま』は途中、東広島、三原駅に止まり8時58分に45分かかって新尾道駅に到着した。

駅前には新幹線の到着に合わせて尾道駅行きのバスが待っている。新尾道駅から15分位で尾道駅に着いた。

信男は急いで家に帰った。久しぶりに見る我が家に着いた時、たまたま外に出ていた近所の田辺日菜子が言った。

「信(のぶ)くん信男くんだろう!あんた、どこに行っとったんね。お父さんが心配して狂った様に探しよったんよ。信吉さんは倒れてね、今、尾道市民病院の3階の療養病棟に入院しとるんよ。早う行ってあげんさい。うちが病院まで送ってあげるけぇ、早う車に乗りんさい」


【47】

「父ちゃん、ゴメンね。信男だよ~」

信男はエレベーターを待つのももどかしくて3階まで階段を駆け登った。

信吉は目をつむって上を向いた顔を、信男の方へ向けた。

「どこのどなたでしょうか(月)信男の知り合いの方でしょうかいの。信男は元気でやって居りますかいのぉ。信男に会うたら、伝えてやって下さい。ワシの事は心配せんでええ。元気で幸せに暮らせよ言うて伝えてやって下さい」

「父ちゃん、僕だよ。信男だよ~」

「信男は迷惑を掛けていませんか?友達は、出来た様ですか。体に気をつける様に、言ってやって下さい」

信吉は命とも思う信男が、突然、居なくなった事で心労の余り、一過性の若年性アルツハイマーになっていた。

ねぇんねん 良い子よ
坊やの里はよぉ
ねぇんねん 野を越え
海辺の町だよ

信男が病室に入ると、赤ちゃんの時、信吉が作って歌って寝かしつけてくれていた子守唄を歌っていた。信男には幼かった頃の想いでが蘇ってきた。四つん這いになって背中に乗せお馬さんドウドウをしてくれた父ちゃん。ひょいと両手で持ち上げて、肩車をしてくれた父ちゃん…

「とうちゃん」

信男の目に思わず涙が溢れ出た。信男は子供の頃、信吉が作ってくれて遊んでいた拍子木や竹とんぼ、子供みこしを持って来ていた。他の患者さんの迷惑にならない様に信男は小さな声で遊んでみた。竹とんぼを2回3回飛ばしてみる。子供みこしを持って回ってみた。

火の用心 カチカチ 火の用心 カチカチ…その時だった。

「信男、どうした。何しょうるんか、子供の頃の玩具(おもちゃ)で遊んだりして」

信吉が突然言った。

「父ちゃん、僕のこと分かるん?信男だよ」

「ハハハハハ、何を言ようるんか。信男の事を忘れる筈無かろうが。信男は何時も信男だ。何時もと何も、変わりゃあせん」


【47】

「小野寺くん大変だったね。何時も優子から聞いていたよ」

寺田優子の父親で尾道市民病院の事務長をしている寺田俊光が病室に来て言った。

「岡部くんの家の町工場も、赤字が続いて不渡り手形を出して倒産してね。家族で夜逃げをしたみたいだよ。それに仲間だった二人も、学校から退学処分になったよ。小野寺くんも、復学したらどうかな。皆が君を待っているそうだよ」

「私がいらぬ事を言う権利はないけど、お父さんが気になって、この町を離れたくなかったら、高校卒業後、通信大学という手段もあるし、もし良かったら高校を卒業して、うちの事務に入社してくれると助かるのだけどなあ。本当は大卒が条件だけど、君の成績だと高卒で十分だよ。採用権は私にある」

信男は優子の父親が、ここまで気遣かってくれている事に感謝した。その夜、家に帰って広島の松友武夫にお礼を兼ねた近況報告の電話をした。

「小野寺くんお帰り。皆、心配してたんだから…」

学校帰りに見舞いに来た寺田優子は気丈に振る舞おうとしていたが、後は涙で言葉にならなかった。

「内野先生も信男くんの事を知らなかったのは、自分の落ち度だ、自分の罪だと、自分で自分を酷く責められているわ。クラスの皆も、どんなに待っているか」

信男は、いかに辛かったとはいえ自分のとった軽はずみな行為が多くの人に迷惑を掛けていた事を知った。ノックの音がしたかと思うと、松友武夫と八重子が入って来た。

「こんにちは。私、広島の松友と言います。この度は、大変でしたね」

松友武夫が、ベットの信吉に声をかけた。

「いやぁ、信男が大変お世話になって、助かりました。信男の命の恩人です。有難う御座います」

信吉は、横になっていた体を起こして、礼を言った。


【48】

信吉は、信男が毎日付き添っていた事で丸っきり心配する事もなく、正常に戻り通院して仕事に行ける様になっていた。1ヶ月余り休んでいた会社も、病気扱いで傷病手当が出る手続きを、してくれていた。最初の3日間は出ないが、4日目から支給され給与総額の3分の2、約60%が支給されるそうだ。

久しぶりに登校する学校は、信男の心の内の変化の為、心なしか明るく変わっている様に感じられた。信男は教室に入って驚いた。

『お帰りなさい 小野寺信男くん』と、黒板に書いて、ピンクのティッシュで花を作って、飾ってくれていた。

「お帰り、小野寺く~ん」

生徒達が話し合っていたのか、信男が教室に入るとクラスの全員が集まっていて拍手で迎えてくれ一斉に声を掛けてくれた。

「小野寺、ゴメンな許してくれ」

担任の内野が誤った。

信男は鶯の鳴き声で目を覚ました。のどかに迎える心身共に穏やかな生活をするのは何ヶ月振りだろう。

信吉も信男が帰って来て安心し極度の心配の余り一時的になっていた若年性アルツハイマーも良くなり、仕事復帰する事が出来た。

信男も復学し信吉と一緒に見に行ったサイクルショップで購入したお気に入りの6段変速機付きのシティサイクルで、毎日通学している。

僕は不如帰(ほとどきす)の様に托卵して育てられているんじゃない。ヤドカリの様に、余所の家を借りているんじゃない。信吉という優しくて立派なこの世で一人しか居ない世界一の父ちゃんと一緒に暮らしているんだもん。

「キョツキョン キョキョキョ キョツキョン キョキョキョ」

空で不如帰の鳴く声がした。

「父ちゃん、あの鳥の名前は何?」

「あれはのぉ、信男ホトトギスという、鳥なんじゃ」

(終)

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