松本肇短編小説Ⅴ ヤドカリの詩【12】~【19】

信男と木下サーカス

松本肇(因島三庄町)

【12】

「信男、サーカスが来るぞ」

「エッ!本当?何時来るん?」

朝刊を読んでいた信吉が、中に入っていたチラシを見て言った。

「今度の日曜日から、一ヶ月公演だそうだ」

「何処で、有るん?」

「埋め立て地の跡の空き地じゃと」

「父ちゃん、行きたいよ。連れて行って」

信男は日頃から、サーカスが好きだと信吉は知っていた。

「勿論だよ~今度の日曜日は初日で、お客さんが多いかな?」

「多かったら、少し早い目に行ったら、いいじゃん。僕、早く見たいよ」

「然も木下サーカスだぞ。よし、それじゃあ初日に早い目に家を出て行くか」

「ヤッター!象の曲芸も有るよね。ライオンの火の輪くぐりも有るよね。空中ブランコも、有るよね」

「そりゃあ絶対に有るさ。何と言っても、サーカスの花形だからな」

普段から、余り我が儘を言った事のない信男にしては、珍しい事だった。


【13】

西洋クチナシの甘い香りが漂う道すがら信吉と信男はサーカス小屋の有る広場へと急いだ。

大きなテントを張った入り口には太い竹を吊った上で女の人が今では時代錯誤とも思われる懐かしい「天然の美」のメロディーに合わせて、演技をしていた。

前に並んでいる15人位の人達の後に続いて、会場に入った。1時間も早いというのに、客はもう7割程、入っていた。

程なくしてファンファーレが鳴り、ピエロが登場して来た。ピエロは赤や黄、青色の大きな水玉模様のダブダブの衣装を着て、オドケテ動き回っている。大きなビニールの球に乗ってバランスをとったり転んだり、器用にジャグリングをしたりして会場を湧かしている。

やがて、象使いに連れられて象が3頭、登場して来た。直径40センチ位は有るのだろうか、丸太の切り株の上に前足後ろ足と4本の足を乗せていく。象にとっては、少し足がはみ出る位で、その巨体を支えている。長い鼻に、日の丸の小旗を持ち振って見せる。鼻を地につけて、前足とで逆立ちもしていく。場内からは、惜しみない拍手が鳴り響いていた。

「オセンにキャラメル。オセンにキャラメル」

首から紐を吊して箱の中に品物を沢山入れた売り子さんがやって来た。

「ぼく(信男)、何か食べるか?」

信吉が言った。

「ウウン、今は入らないよ」

信男はそう答えたが、信吉は信男の好物のネジリパンとアンドーを一つずつと、ラムネを2本買った。信男はパンを半分にして、信吉に半分渡した。信男はパンの中でも、特にアンドーとネジリパンが好きだ。

場内に大きな柵が張り巡らされて、ライオンが入っている檻が3台用意された。アランフェス協奏曲のギターが流れる中、ライオンが3頭檻から放たれた。太いロープを2本、等間隔に張って、猛獣使いの人が、ライオンをロープの前に誘導した。時折ガオーと首を振るライオンを上手くロープを渡らした。

次は、火の輪くぐりの用意がされた。ガソリンを浸ました丸い輪に、火が点火された。ライオンの体が、やっと通れる位の大きさなので油断をすると、ライオンの毛に引火する恐れが有る。3頭のライオンは、炎の上がる火の輪を上手にくぐり抜けた。


【14】

宮城道雄の「六段」の曲が流れている。

その箏曲の中、畳1帖を敷いた高さ1メートル位の台が運ばれてきた。

白いズボン下を履いた和服姿の女性が、台の上に上がると、仰向けになって、両足を上に上げた。

係の者が女性の足に、障子を乗せると、あたかも二人の人が手で固定しているかの様に、2、3回バランスを取ると、揺るがす事もなく、障子をピタッと安定させた。

そこに、もう一人の女性がやって来て、筆を口にクワエタかと思うと、傍らの硯の墨を筆に浸した。

恋しくば 尋ね来て見よ
和泉なる
篠田の森の
恨み葛の葉

罠にかかった白ぎつね葛の葉姫が、人間の姿になり助けてくれた安部保名との間に子供を設けるが、童子丸が5歳の時、白ぎつねで有る事が知れてしまう。

葛の葉姫は泣き乍ら、子供を置いて去る。

『葛の葉』のワンシーン=写真=を見事に演じた。その童子丸こそが、後の安部清明である。


【15】

ヴォォーンヴォォーン

凄まじい音がしたかと思うと、次のショーが始まった。

大きな金網で出来た球状の中を、2台のバイクが、天井へ底に、横に斜めに、縦横無尽に走っている。

一瞬の油断も命取りになるライダー達の見事なハンドルさばきだ。

大きなネットが下に張られた。

天井からはスルスルっと等間隔に、2台のブランコが下げられた。

傍らの縄ばしごを男2人女3人が、上っていく。いよいよサーカスのクライマックスである、空中ブランコが始まる。

手前のブランコに、まず1人の男性が飛び移り、勢いをつけて女性を掴み、向かいの台に2人を移動させた。そこにピエロがやって来た。

男性が掴もうとするが、怖じけづいて中々ピエロは飛ぶ事が出来ない。

2人の男女に押されて、やっと飛んだかと思うと、リードしている男性の手を掴む事が出来ないで、ピエロのダブダブのズボンを掴まれ、ズボンが脱げた状態で下のネットの上に落下した。

下着姿になったピエロは恥ずかしそうに、ネットから降りようとするが、二転三転して、やっと降りる事が出来た。

緊張するショーの中で、心を解きほぐす素晴らしいパフォーマンスに、場内一杯の観客からは、日頃の喧騒も忘れて、笑い声が響いていた。


【16】

いよいよ空中ブランコが始まる。レオタードを身にまとった男女がスタンバイしている。

リーダー格の男性が、身軽にブランコに移るとクルッと回って、膝の後ろでブランコを挟み逆立ちの状態になった。そうすると、もう一方のブランコに女性が乗り男性の手に掴まり、手前のステップに移る。目に物を見せない鮮やかさで、残りの面々も、何なく熟(こな)していく。一通り終わったかと思うと、今度は男性が布で目隠しをして、同じ様に繰り返していく。見えていても大変なのに、ハイッと掛け声をかけながら、タイミングを見計らって、ブランコに飛び移っていく。人間技を遥かに超えた芸術としか言いようがない。今度は何をするのかと思うと、二つのブランコの間に紙を張った丸い、輪が下がって演技をする相手が見えない状態にしたかと思うと、ヤハリ号令を掛け合って、空中ブランコをやっていく。会場の客からは、場内一杯に拍手がなり響いた。いよいよフィナーレに、全員が出場して挨拶をして2時間にも及ぶショーが終わった。

「父ちゃん、良かったね」

信男が満足げに言った。

「楽しかったか。そりゃあ良かった」

信吉が答えた。

「僕、大きくなっても、きっと今日の事は覚えているよ。忘れないと思うよ。有難う」


【17】

サーカスのショーを見て、満足な二人が家に近づくと家の前に、アヤメが描かれた絽(ろ)の着物を着た女性が立っていた。

「始めまして、私、鈴木節子と申します。伊豆の修善寺からやって参りました」

信吉が応接間に通すと、歳は過ぎているだろうかと思われるその女性は、座布団を当てながら言った。

「実は私、拓也の…香月拓也の母親で、御座います」

「えっ!拓也からは、母親は小さい時に亡くなったと聞いておりますが」

驚いて信吉が答えた。

「お恥ずかしい話なんですけど、私が赤ちゃんだった拓也を置いて、好きな男の元へ走ったものですから、父親はそう言って育てたのだと思います」

「それで、拓也の母親が一体、何の用ですかいの?」


【18】

「伊豆の修善寺で『かめや』という旅館を営んでおりますが、二人の間に子供が居なくて、江戸時代から続いた老舗旅館が、主人の代で終わってしまうのかと思うと心もとなくて。それで私が置いてきた拓也の事を思い出しまして興信所で調べて貰いましたの」

「岡本綺堂先生が、『修善寺物語』を書かれました『新井旅館』も近くに有りますし、残念乍ら拓也は亡くなったそうですけど、その息子を貴方が育ててくれているという事なので、甚だ身勝手なお願いとは存じますが、信男くんを私共に譲って頂けないかと思いまして」

「冗談じゃない。信男は品物じゃないんだ。心も命も持っている立派な一人の人間なんじゃ。自分が困ったからだと言って、普段忘れていた拓也の事を思い出して、然も年端もいかない子供の前で、欲しいのどうのと良く言えたもんじゃ。常識のない」

「僕、父ちゃんと一緒に居る。父ちゃんと離れとうない」

二人のやりとりを聞いていた信男が、突然泣き出した。

「失礼だとは思いますが、お礼は十分させて頂きたいと思っています。1千万程、用意させて頂きたいと思いますがもしそれで少なけれは、もっと考えさせて頂きますので、何卒宜しくお願いします」

「馬鹿にするな!どんな事があっても、信男は手放しゃあせん。信男はワシの命じゃ。生き甲斐なんじゃ。あんた、信男の為に命を捨てられるか?ワシは何時でも、信男の為なら、命を捨てる覚悟でいるんじゃ。悪いけど、帰ってくれ。もう二度と来ないでくれ」

信吉は激怒して、言い放った。


【19】

本作中に出てきた「修善寺物語」について

岡本綺堂作「修善寺物語」は伊豆の修善寺で面作りをしている夜叉王の元に、将軍源頼家が自分の顔を模した面作りを依頼してくる。

夜叉王は早速作業に取り掛かるが、彫り上がった面には何故か死相が浮かんでいる。

一面、二面、三面…何度、彫っても、どれも同じ具合に出来上がる。

面の出来上がるのを楽しみにしている頼家は、夜叉王の二人いる娘、20歳の桂と18歳の楓の内、桂と恋仲に陥る。

一方、何度彫っても死相が出る面に納得がいかず仕上がっていないと言うが、作業場を覗いた頼家はそうとは知らず大層喜んで、その中の一枚を夜叉王の反対を押し切って、持ち帰る。

やがて桂は頼家の側室となって屋敷に入るが、ある日の夜、頼家の父、源頼朝への逆襲を企てた平家の残党か分からぬが2、300人の兵に夜襲にあう。

桂は咄嗟に傍にあった頼家の衣裳を羽織り、父夜叉王が彫った死相の出ている頼家の面を顔に着ける。

部屋を隈なく開けて頼家を探していた兵達は、頼家の面を着けた桂とも知らず頼家だと思って桂の命を奪う。

伊豆の修善寺で面作りをしている夜叉王を取り巻く源頼家と桂の恋物語である。

写真=映画「修禅寺物語」(1955年・中村登監督)

(つづく)

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