松本肇短編小説Ⅴ ヤドカリの詩【1】~【8】

信吉の青春時代~

松本肇(因島三庄町)

【1】

小野寺信吉と香月拓也は学生時代部活でバレーボールのクラブに入っていた。エースアタッカーの拓也は、女子学生から人気で、拓也が出る試合には、他校からもフアンが多く見に来ていた。

渋川悦子は色白でオーラが有り、男子は勿論同性の女子学生からも絶大なる人気でアイドル的存在だった。

何の縁かは知らないが、信吉と拓也は悦子とも親交が篤く、3人で行動する機会が良くあった。

「おい小野寺、渋川の事、どう思う?」

二人でいる時、拓也が聞いてきた。

「どうって、別に」

熱いタギリを燃やしていても、ハッキリと口に出せない信吉は、自分でも、もどかしさを感じていた。

「だったら俺が渋川に、アタックしても別に問題無いな」

信吉は豪放磊落な拓也が羨ましかった。それからしばらくして、二人は付き合う様になっていた。

家に帰り一人になった信吉は、自分を恨み心の中で何度も慟哭していた。頭の中が、まるで雪崩にでも合った様な、虚無感に襲われる事があった。


【2】

香月拓也は歯科技工士の資格を取って、市内の歯科医に勤務していた。渋川悦子はOLで、小野寺信吉は自分の好きな道を生かしたいと思って、自動車修理工場に勤務をしている。

仲良しの、いわば三人組は、就職をした後もお互いにスケジュールが合えば、時々会っていた。

軽く食堂で食事を済まして、別れる時には当然拓也と悦子の二人と信吉は別行動になる。

拓也と悦子は、これからデートだろうし、そこから一人で帰る時の信吉は、何時も虚しくなっていた。だからといって、誘いを断る訳にもいかず、信吉のこの思いには、誰も気付いていない。自分が一人で悶々としているだけだ。

愛を想えば心が痛む
愛を忘れずいるのは辛い
愛を知らない訳じゃない
愛はお前が一人だけ
愛に未練などないと
一人自分に言いきかす
何時の間にか降りだした雨に、信吉は傘もささず一人で歩道を歩いていた。
哀しさに耐えきれず
降りしきる雨の中
宛てもなく
走った事がある
雨と涙が頬を濡らし
それは余りに
心地良かった
人生には試練に
強く打ちかっていく
勇気が必要だと言った君
何時かは人並みに
笑えるのだろうか
幸せは何時になったら
来るのだろうか

こんな時、パチンコや競輪、競馬…などの、賭け事を出来る人が羨ましい。その間は、悩みを忘れる事が出来るだろうから。学生時代バレーボールをしていたが、今ではゴルフもボーリングも興味が無い。酒でも飲めるのであれば、あおりたいが下戸の信吉には気分転換をするものが、何一つなかった。

信吉はベットに入って、毎晩眠る時の習慣になっているメンデルスゾーンの『ベニスの舟歌』をスリーピングタイマーをかけた。この曲を聞いていると、自分でも不思議なのだが、あるヵ所に来ると自然と涙を誘うのである。そして何時のまにか、深い眠りに入っていくのだ。


【3】

信吉はリビングのサイドテーブルで、ワイングラスを傾けていた。日頃からビールや日本酒などのアルコール類は会社の行事などで多少は付き合うが、ワインは自ら買い求めて来る。

「オッ、元気か!」

拓也が訪ねて来た。

「また一枚、増えたな」

壁に架けている林武の『梳ずる女』を見て言った。

「お前、ユトリロと上村松園だけじゃなかったのか」

学生時代からの親友の拓也は、信吉の好みを知っていた。

「この梳ずる女は、セーターの色合いといい、表情が何とも言えなくて、手元に置きたくなったんだよ。それに、松園の息子の花鳥画を得意としている松篁や淳之も、好きだよ」

「松園といえば、皆はすぐに『序の舞』をいうが、俺はむしろ『雪』や『蛍』が、好きだな」

拓也が悦子を伴って来て居ないのが幸いだった。

「拓也、お前はやっぱり、ルノアールの『少女イレーヌ』と『本を読む少女』に、心酔しているのか?」

「ああ、あのルノアールしか描く事が出来ない、ふくよかな女性は、俺は好きだな」

以前は良く泊まっていた拓也も、ひとしきり美術談義をすると帰って行った。信吉は窓を開けると、テラスに止まっていた、薄羽かげろうが儚げに飛んで行った。一瞬、信吉はその蜉蝣(かげろう)に、妖精を見た様な気がした。


【4】

拓也はソファーに腰を降ろし、悦子の入れたコーヒーを飲み乍ら、新聞に目を落としていた。

結婚して、3ヶ月が過ぎようとしていた。朝食のパンも、イロイロ趣向を凝らして、フレンチトースト、サンドイッチ、ホットケーキ…などとホットミルクにハムエッグとサニーレタスにトマト添えなど、毎日、手の混んだ朝飯だ。昼の弁当、夕飯も、バラエティーにとんだメニューで拓也は、幸せとはこんな家庭の事を言うのだろうと思っていた。

先日も悦子が、産婦人科で受診するというので、代休を取って、一緒について行った。妊娠検査で、採血をし、次回は朝一番の尿を持って来る様に言われた。その結果、妊娠8週目に入っている事が分かった。拓也の喜び様は、尋常ではなかった。書類を受け取り、市役所に行き、母子手帳を発行して貰った。

7ヶ月になる迄は、4週間に1度の検査に来院する様に言われ、その都度、拓也は付き添って行った。中年の看護師に「毎回ついて来られるとは、優しいご主人ですね」と言われ、拓也は顔を赤くしたものである。

「香月さん、おめでとう御座います。お坊ちゃんで、跡継ぎが出来ましたね」

隣の岡崎咲子に声をかけられて、拓也は驚いた。

「いいえ、おばちゃん、まだ生まれてないですよ。5月が予定日ですから」

拓也は慌てて答えた。

「男の子に間違いないですよ。私も2人の男の子を育てましたがね。昔から、女の子は腹に餅を抱かすと言って、横に平べったいお腹になるのが、最近の奥さんのお腹は前に突き出て、あの優しかった顔が、少しきつくなられていますよね。間違いなく男の子ですよ」

産婦人科に行く度に、超音波をみて心音を聞いていた。5ヶ月になった時は、晒し木綿に大きな寿の赤い印しをつけた腹帯を、看護師に奨められて、拓也も巻き方を教えて貰った。

「下から余りキツすぎず、柔らか過ぎず、お腹を一回りしたら、そこで晒しを折って繰り返すのよ」と言われて毎日、腹帯を締めるのは、拓也の役目になっていた。もうその頃には、超音波の映像で、性別の確認は医師から告げられていた。


【5】

7ヶ月の時までは4週間に一度だった検診が、8ヶ月になってからは2週間に一度の通院になった。

悦子は医師から告げられたとき、傍に拓也が居なければ倒れていたかも知れない。

『妊娠高血圧症候群』いわゆる従来の『妊娠中毒症』の事である。妊娠20週を過ぎてから分かるというが、時に蛋白尿を伴う高血圧で、浮腫(むくみ)、脳出血の注意をしなければいけない。特に分娩時、妊産婦死亡の4割を占め、死亡原因の一位だそうだ。

「さっきの先生の話しを、考えているの?」

急に無口になった悦子を案じて、拓也が言った。

「これからも検診の度に先生に聞いて、何か日頃から気をつけて、治る方法が有るかも知れないので、余り今からそんなに思い詰めない方がいいと思うよ」

病院の前に有る日赤病院前の駐車場に差し掛かると、信号が丁度青に変わったばかりだった。

赤信号で車が止まっているのを確認して横断歩道を渡り初めた時だった。前の車にぶつかり乍ら、一台の車が猛スピードで突っ込んで来た。

悦子を庇おうとした拓也が宙に舞った。飛んだかと思うと、グシャッとした鈍い音がして拓也の体が地面に叩きつけられた。頭の周りから、血の海になっていった。

日赤病院の看護士が、慌ててストレッチャーを用意して、拓也を乗せて救急治療室に入っていった。頭を強打しており、頭蓋骨陥没骨折で即死の状態だった。

信号無視、スピード違反の車のせいで、幸せの真っ只中にいた拓也の人生が終わった。享年30歳の若さだった。

悦子は、その場で気を失った。


【6】

信吉は拓也の死を、現実の物として中々受け止める事が出来なかった。

幼い頃からの無二の親友で行動的な拓也と消極的な信吉が何故か気が合った。

若い頃、琵琶湖バレーに行った事がある。標高1,105メートル、ロープウェイで5分の所にある琵琶湖バレーに誘ったのも拓也だった。

『何時かある日に』『雪山に消えたあいつ』などを、他のグループと一緒にキャンプファイヤーを囲んで楽しんだ事もあった。

テントの中で「人生とは、青春とは何か」を話しあった。「恋とは、愛とは何か」と話しあった。

そんな青春を共にした宝とも言えるアイツは、もう居ない。拓也はもう居ないんだ。信吉は、何とも言えない虚無感に襲われた。身代わりになれるのだったら俺がなったら泣く者は居ないのに。その様な不可能な事を考えていた。

悦子を見舞うと、虚ろに天井を見つめるだけで何も一言も喋ろうとはしなかった。

悦子の体調も気に掛かるが、いくら拓也の親友だといっても余り度々、病院に行くのは避けた。

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』のヒースクリフの様に、片想いで好きな相手が結婚しても執着し、その女性が亡くなった後も墓まで暴くという行為をする様に誤解をされたら、信吉自身はおろか悦子に迄、迷惑を掛ける。

仕事帰りに1日おき位にして、日曜日は10時から30分位付き添った。

悦子の父親の57歳の田辺洋介が、毎日仕事帰りに寄っていた。田辺洋介は妻と死別していて今は一人暮らしだという。


【7】

深夜の電話のベルで、信吉は目を覚ました。時計を見ると、午前2時を少し過ぎた所だった。

コールサインが5~6回鳴ったところで受話器を取った。悦子の父親の田辺洋介からだった。信吉は思わず胸騒ぎがした。

生まれた男の子は助かったが、悦子は分娩時出血多量で命を落としたという内容だった。

予定日が近づくにつれ、帝王切開か自然分娩か迷っていたが自然分娩にした。産婦人科の方も輸血準備など最善を尽くしたらしいが助からなかったという。

生まれた子供は生まれ乍らにして両親を失いみなしごになってしまった。

妻を無くして一人暮らしの洋介は57歳で乳児を育てる自信が無いと言って乳児院に預ける手続きをすると言っていた。

信吉は咄嗟に自分が引き取って育てさせて欲しい生命をかけて必ず幸せにすると言った。それは悦子への残った愛の為では無い。むしろ拓也への何かしら自分だけが生き残っている償いというか懺悔にも似た様なものであった。

周囲からは、独身の男性で仕事も有り絶対に無理だと言われたが、信吉の覚悟は固かった。

信吉は子供の名前を、「生涯どんな事があっても信じて欲しい」という願いを込めて、そして自分の名前の一文字を取って「信男」と命名した。


【8】

市役所保育科に出向いて、保育園の入園について確認に行った。窓口で対応した50歳は過ぎているだろうと思われる女性は、親切に丁寧に調べてくれた。

生後8週(約2ヶ月)を過ぎると認定こども園で預かってくれるという。それ迄の約2ヶ月について、待機中の保育士を紹介してくれた。2人の保育士に自宅の鍵を預け、7時30分~12時30分、12時~17時の2人が交替して信男の面倒を、見てくれると言う。

2ヶ月が過ぎた時から、保育園の方で7時30分~預かってくれるので、信吉は8時~17時の仕事なので、出勤する前に信男を預け、仕事帰りに信男を受け取る日が続いた。仕事をしている男性が1人で世話をする大変さから、待機中の2人の保育士が、時々手伝ってくれている。

夜は勿論、熟睡する事はなかった。3時間おきに、人肌に温めたミルクを飲ませておしめを替える。事前に保育士から自宅で、実習させて貰っていたお陰で、不慣れであっても毎日スムーズにする事が出来た。他人からは聞いていたが、信男は余り夜泣きもせずいい子でスクスクと、育っていった。

やがて信吉を見て、ニッコリと笑う、寝返りをうつ様になるハイハイが出来る様になるつたい歩きが出来る様になる。

信男の一つ一つの成長が、信吉にとっては生き甲斐の様に、なっていった。

信吉は信男が覚え易い『パパ』ではなく、時間をかけて『お父ちゃん』と呼ばす様にしていた。

大変な子育ての毎日だったが、信男は素直で優しい、いい子になっていた。

あれから10年の歳月がたとうとしていた。

(つづく)

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