松本肇短編小説Ⅴ ヤドカリの詩【25】~【31】

信男の中学時代

松本肇(因島三庄町)

【25】

信男が中学に入って程なくすると、全国共通一斉模擬試験が行われた。

結果発表の方式は学校に依ってまちまちなのか知らないが、信男の通う学校では教室の前の廊下に得点、順位が張り出されていた。

信男は2位の岡部正彦に、かなりの差をつけて1番だった。

小学校の時から近所でも有り一緒に登下校をしていた岡部正彦は、信男が答辞を言った頃から避け初め行動を共にしなくなった。

一緒に遊んでいた加瀬良太も気が弱く正彦の言いなりで、正彦の腰ぎんちゃくになっていた。

信男は威張ったり自慢したりもせずに、その気がなくても、父親が7人程を雇っている小さな町工場を営んでいて子供の頃から何でも自分の思い通りになる正彦には、信男の存在が面白くないのだろう。


【26】

信男が学校から帰ると洋間の方からピアノの音が聞こえてきた。

「父ちゃん、何しょうるん(何しているの)?」

「お帰り。ウン!今、詩が出来たんで、曲を付きょうる所じゃ」

「何て曲?」

「『生きる義務』じゃ」

「父ちゃん、歌ってみて」

  1. 若い時には虚しさがある
    若い時には淋しさがある
    生きてゆこうよ辛くても
    人は生きてく義務がある
  2. 若い時には侘しさがある
    若い時には死にたくもなる悩みがあれば話し合おうよ
    生きる喜び探そうよ
  3. 若い時には儚さがある
    若い時には切なさがある
    強く生きようくじけずに
    人は生きてく義務がある

「覚え易くていい曲だね。父ちゃんはピアノは長く習ったん?」

「イヤァ、バイエル止まりでソナチネまでは行かなかった」

「父ちゃん他に何かお稽古しているの?」

信男が聞いた。

「ああ、習字に算盤、お絵かき、表千家の茶道、未生流の華道、くらいかな」

「それで父ちゃん時々、抹茶を点ててくれたり、何時も床の間にお花が綺麗に活けられているんだね」

「イヤァ何もかも中途半端で、習字の『草笛会』は三段の免状を貰っているけど今は四十肩になってしまってまるで駄目だよ。お茶も濃茶の途中で小習いで止めたし、お花も初歩だけで一人前じゃないよ。それでも高校時代は書道と珠算は良かったな。珠算は日商の一級だから、テストは何時も100点で当たり前、悪くて98点、書道も一番だった。普通科だったので商業簿記、計算実務の授業もあったからな」

「へーっ、そうなんだ。初めて聞いたね」

「信男は、父ちゃんウッカリしてて何も塾に通ってないな。ゴメンよ。今からでも、何か習いに行くか」

「ウウン、僕は今のままでいいよ。だってお父ちゃん国語も歴史も英語も僕が分からなくて質問すると何でも教えてくれるもん。家庭教師に付いて貰っているのと同じだもん」

大きくなっても信男が変わらず素直な心を持ち続けている事に、信吉は安堵していた。


【27】

「父ちゃん、ここに僕そっくりな男の人と、父ちゃんと、女の人が写っているけど、この人達は誰なん?」

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

「信男、ここに写っている人が、お前の本当のお父さんとお母さんなんだよ。ごめんな!何時かは本当の事を言おうと思いながら、一日延ばしになってしまって遅くなってしまった。お父ちゃんは、信男に本当の事を知られるのが怖くて、本当の事を知ったら、信男がワシの事を嫌いになりはしないかと心配していたよ」

拓也が悦子の付き添いで産婦人科へ行った帰りに事故死した事や、悦子が出産の時、信男の命と引き換えに亡くなった事は、信男にとって余りにもショックが強いと思って和えて言わなかった。

「ウウン、僕小学校3年生の時から、知っていたよ。日山のおばさんに言われて、そうなんだ!と思ったもん。だって僕その人達の事、何も知らないし、父ちゃんが何時も優しくて毎日幸せだもん。これからもずっと気にしないでね」

「信男、今度の日曜日にお父ちゃんと一緒に、お墓参りに行こうか」

「僕は行きたくないよ。僕にとってはお父ちゃんが本当のお父ちゃんだから、僕、お父ちゃんの事、世界で一番好きだよ。誇りに思っているよ」

信吉は、信男の気持ちを知って嬉しさの余り心の中で慟哭していた。


【28】

「父ちゃん、庭に黄色い花が綺麗に一杯咲いているよ」

信男が、庭に咲いている山吹きの花を見て言った。

「ああ、あれはのぉ、山吹きと言って八重に咲いても実が成らんのじゃ。室町時代の武将で、築城、軍略に優れて、江戸城の築城者としても名高い、太田道灌という人が居てのぉ『七重八重花は咲けども山吹きの実の一つだに無きぞ悲しき』という、古歌を知らなかったんじゃ。道灌がある日、独りで武蔵野の狩りに出掛けて俄か雨に遇ったんじゃ。困っていた所、とある一軒の茅葺き屋根の家を見つけてのぉ、その家を訪ねて蓑を貸して欲しいと頼んだ所、出て来た少女が山吹きの一枝を、お盆に入れて差し出したんじゃ=写真。」

「困った道灌は城に帰って、臣下にこの話しをした所『ご覧の様な田舎のあばら家で、ございます。お困りの所、申し訳ありませんが、我が家には八重に咲いても実の着かない、この山吹きの様に旅のお方にお貸しする蓑が御座いません』と山吹きの実のと、蓑の掛詞だと知らされてのぉ。道灌は自分の無学を恥じて、奥ゆかしい少女の気持ちを知って、いくら戦略に優れていても、文学を知らないといけないと思って、その後大いに和歌を学び、立派な歌人となって、文武両道に優れた人になったそうだ」

「へぇ~この山吹きの花に、そういった話しが有るんだね」

信男は、感心して言った。


【29】

中学は、小学校時代の顔馴染みのままなので別段、取り立てて変わった事は無かった。唯、授業が終わって帰ろうとすると、下駄箱に入れていた靴が無い。困っていると、寺田優子が靴を持って来てくれた。

「小野寺くん、校庭のソテツの所にあったわ、これ信男くんのでしょう?さっき、岡部くんが隠していたの。何故岡部くんは、何時も信男くんを敵視するのかしら。頭が良くて、クラスの人気者の小野寺くんを妬むのだったら、岡部くんも勉強して、品行方正にすればいいのに。私達、美咲と茜の三人で、中村先生に言い付けて来たのよ。小野寺くんも直接、イジメの事を先生に言うべきよ」

寺田優子が、まるで自分の事の様に、親身になって言ってくれた。

「有難う。助かったよ」

お礼を言って、帰路に着いたが、信男の中に大きな悩みが出来た始まりだった。

「父ちゃん、辛い事って有る?」

夕食を終えて、テレビを観ていた信吉に、信男が言った。

「う~ん、そうだなぁ~。有る様な無い様な…何だ信男、何か今困っている事でも有るんか」

「いいや、そうじゃないよ。ただ何となく、聞いてみただけ」

「信男、何か困った事があったら、何でも言うんだよ。絶対に一人で、悩む事はないぞ」


【30】

信吉は翌日、星野富弘さんの詩画集『鈴の鳴る道』を買ってきて、信男に渡した。

「信男、この星野富弘さんという人は、大学を出て中学校の体育の教師になって、クラブ活動の指導中、生徒達に模範演技をしていて、鉄棒から落下して、頸髄を損傷して首から下を動かす事が、出来なくなったんじゃ。それでも、自分にも何か出来ると思って、口に絵筆をくわえて絵と詩を描いている。健常者でも、中々描けない様な、微に至り細に亘り、見事に描いているよ。また、詩も心の叫びの様な、素晴らしい詩画集だよ」

「星野富弘さんが、クラブ活動の指導中、鉄棒から落下して頸髄損傷の為、手足の自由を失ったのは24歳の時だったんだ。その時、腕が思い通りに動き、2本の足で自由に歩けていた事が、どんなに素晴らしい事だったのかと、つくづく思ったそうだよ。今でも、事故にあった梅雨になると、その時の事が蘇って来るそうだ」

「人間は、無駄のない身体に創られていると思うよ。目で見て、耳が聞こえて、鼻で息をしたり、匂いを嗅ぐ事が出来る。喋る口で食べる事が出来、二本の手で物を掴み足で思う所に行く事が出来、大小便をする事が出来る。それを良い事に使うか、悪い事に使うかで大きな違いが人間として、出来るのだと思うよ。日常生活をする上で、当たり前の事を当たり前と思わず日々、感謝して生きていかなければ、いけないと思うよ」

信吉は、信男に言うでもなく、自分自身にも言い聞かせていた。

星野富弘氏の詩画集《花よりも小さく》より

ヒマラヤユキノシタの詩画より

私が苦しんでいた時、どんなに寒くても咲く強い花ですと、この花をくれた人、今年も冷たい冬が来て、あの花が咲きました(原文通り)


【31】

「信男、高校は何処にするか決まったか?」

そろそろ、志望校の出願を決める時期なので信吉が言った。

「うん、地元の高校に行こうかと、思うとるんよ」

信男にしてみれば、高校を変えれば、岡部正彦達とも会えなくなるだろうし、そうすればイジメの心配も無くなるのでは、ないかと思っていたがあえて、地元の高校だと言った。

「駄目だ!信男は頭もいいし、成績がええんじゃけぇ(いいのだから)、隣町の進学校へ行って、東京の大学に行って、IT企業か何かの大手の会社に就職して、幸せになれよ」

「そうしたら、お父ちゃん一人ぼっちになるじゃん。僕は、お父ちゃんと離れん。この家から行ける仕事を、探すよ」

信吉は信男の優しさに、胸が熱くなった。

「父ちゃんの事は、どうでも、ええんじゃ。父ちゃんは、信男が幸せになってくれるのを、何時も思っとる」

「だったら、僕の一番幸せは、父ちゃんと一緒に居れる事が、一番嬉しいんよ。僕は何時までも、父ちゃんの傍に居るよ」

信男は日頃から思っている気持ちを、素直に言った。

(つづく)

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