松本肇短編小説Ⅴ ヤドカリの詩【32】~【35】

信男の高校時代①

松本肇(因島三庄町)

【32】

隣町の高校は、自転車で30分かかった。

信男はこれで、岡部正彦とも会う事もなく新しい友達と、毎日勉強が出来ると、楽しみにしていた。

クラス割りが決まって教室に入って、愕然とした。何と、寄りによって、正彦が居るではないか。これだったら、わざわざ遠くの高校を選ばなければよかった。進学校ではないけれど、地元の高校にすれば、よかった。

クラスは1クラス25人で、男女が大体、半分づつ位だった。地元の高校ではなく、この学校を選んだのは、信男と正彦だけでは無く、男女数人の顔なじみがいた。その中には、以前、履物がない時、助けてくれた寺田優子の姿もあった。

「小野寺くん、これからも宜しくね」

優子は利発的な顔を向けて、言った。


【33】

「今年の八十八夜は何時?」

2階にある自分の部屋から降りてきて、信男が言った。

「今年は5月1日だよ~どうしたんか?」

「砂の中に卵を生んでいる鈴虫の容器を、覆っているナイロン袋から出して、霧吹きで水を上げないといけんのよ」

「毎年小まめに、ようするのぉ。鈴虫を育てて、何年になるか?」

「僕が小学校の3年生の時じゃったけぇ、6年になるよ」

「信男、大変な手間じゃろうが。毎年失敗せずに、何にでも愛情を持って努力する姿は立派じゃのぉ」

「秋に砂の中に卵を生んで、雌が死んだら、容器の中を綺麗に掃除をして、ゴミを取り除くんよ。そうして、霧吹きで万遍なく水を吹きかけて、余り多いと砂の中の卵が腐るし、少ないと干からびてしまうけぇ、その微妙な案配が難しいね」

「そうして水分が蒸発しない様に、容器がすっぽり入るナイロン袋に入れて、暖房の効いてない、温度差の無い所に置いとくんよ」

「ほう、それで何時頃から鳴くんか?」

「毎年、6月中旬位に孵化して、鈴虫用の餌とキューリや茄子カボチャを爪楊枝に刺して、6回脱皮して8月頃に成虫になって、鳴きだすんよ」

「そうか、中々それだけの手間をかけて、誰ばれ真似の出来ん事じゃ。信男は何に関しても、真面目じゃのぉ」

信吉は信男の行為に、感心して言った。


【34】

「父ちゃん、アメリカに行った事ある?」

信男が何を思ったのか、信吉に聞いた。

「ウ~ン、アメリカかぁ。テレビでは見るけど行った事は無いな。どうしたんか」

「そうだよね。父ちゃん何時も、僕の面倒をみてくれてたもん、旅行なんか出来なかったよね。父ちゃん、僕が大学を卒業して、仕事をする様になったら、僕がアメリカに連れてってあげる」

「……」

信吉は、信男の優しさに、絶句してしまった。

「信男、有難う。父ちゃんはのぉ、信男の今の気持ちを聞いただけでアメリカへ行ったのと、同じじゃ。父ちゃん嬉しいよ。信男、ありがとうな!」

信吉は胸が詰まって後は言葉にならなかった。春の日のまだ浅い、夕暮れ時の出来事だった。


【35】

「この筍、美味しいね」

初物の筍を、蒲鉾、竹輪、平天等の練り物と一緒に旨煮にして、信吉が夕飯のおかずに出していた。

「堀り立ちのを、杉山のおばあちゃんが、一本持ってきてくれたんじゃ。外の皮をむぐと小さくなって、鍋に筍が被る位の水と一緒に米糠を入れて、蓋をせずに一時間位、茹でるんじゃ。それをそのまま一晩置いて、翌日、筍に付いている米糠を流水で洗って、水につけておくと灰汁が抜けて、美味しくなるんじゃ」

「ふ~ん、結構面倒なんだね」

信男が、感心して言った。

「昔の人の知恵じゃ。色々な種類がある筍の中でも、この孟宗竹が一番美味しいぞ。昔、中国に孟宗という親孝行な息子が居てのぉ。冬の寒い時に母親が、筍を食べたい言うたんじゃ。孟宗は雪の中、筍を探すが見つからなくてのぉ、竹薮で泣いていると、親孝行な孟宗の姿を見て神様が筍を一本、ヌ~と出してあげたんじゃそうな。それから、この筍を孟宗の名前を付けて、孟宗竹と言う様になったんじゃと」

「そんな、言い伝えが有ったんだね。今度から僕、筍を食べる時は、その孟宗と言う人の事を忘れないで、食べる様にするよ。お父ちゃん、教えてくれて、有難う」

(つづく)

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