父のアルバム【1】はじめに

実家を継いだ長兄から電話が入った。

「三庄の家を壊すので必要な物があれば早めに取り出してくれんか」

一昨年の春のことである。長兄と次兄が実家の解体の準備をしていることは知っていたので、ある程度の覚悟はできていた。しかし、それが実際に迫ると特別な想いが込み上げてくるものである。

ところで、ここでいう実家は私の生家ではない。生家は私が生後10カ月の時に空襲で消滅し、家族は近くのそこに移り住むことになった。したがってわが家族の戦後史は、この建物とともにあると言えるのである。
家族内の話では、この建物は曽祖父が建てたもので元々旅館として使われていたという。目の前に造船所の正門があり、島外からやってきた船員や従業員が宿泊していたのであろう。

私がそこで生活した期間は長くはない。隣町の保育所に入るまでの数年間、中高時代の六年間、そしてUターン直後の1年7カ月間である。だが、多感な思春期を過ごしたという意味では、思い出深い場所である。

当然のことだが、家族の構成員には自分が育った家にそれぞれの思い入れがあることだろう。そのなかでも私の場合は特別だ。兄や姉たちと違い私には生家についての記憶がまったくないのである。したがって私にとって「家」とは生家ではなく育った家のことなのである。

だから、実家が解体されることに末っ子の私が一番強く反応することになる。父が死に長兄が後を継ぐことになった瞬間からやがて壊される運命の実家に私は独特な関心を持つようになった。わが家族の歴史を宿す物品を収集したくなったのである。

手はじめにやったことは長兄の通告より四年も前に、空襲の遺品ともいうべき碁盤を実家から持ち出したことである。それは父所有のもので、表面に空襲でえぐられたようなふたつの傷がついている。

この作業は、とめられることを恐れて兄に無断でやった。そもそも彼はこの碁盤に無関心であるに違いない。このままだと解体ゴミの一つに過ぎないのである。二階からおろし、私の自宅に移動させたのである。

兄の呼びかけで私の収集活動はおおっぴらにできるようになった。家中を見回ると大切なものの大半が二階にあることが判明した。そして真っ先に目に入ったのはアルバム群である。持ち帰って数を調べると30冊を超えていた。しかもすべてが大型のものばかりである。

父と母、祖父の遺影もあった。とにかく写真という写真は全部持ち出すことにした。

青木忠

高校のころ。実家の風呂の屋根に乗ってみた。五右衛門風呂の煙突が懐かしい。次兄の友人が撮影してくれたと記憶している。

(青木忠)

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