空襲の子【1】因島空襲と青春群像 はじめに

青木 忠
 わたしがまだ東京に住み政治活動や裁判闘争に専念していたころ、おそらく今から20数年前のことであったと思うが、横浜市のキリスト教紅葉坂教会の岸本羊一牧師から数冊の山本周五郎の著作とともに一冊の文庫本を頂いた。「読むといいよ」と牧師が薦めてくれたのは、吉田満著「戦中派の死生観」(文春文庫)であった。


 吉田満氏は1923年(大正12)年、東京生まれ。昭和18年、東京大学法学部在学中に学徒出陣で海軍に入隊、昭和20年戦艦「大和」に乗組み沖縄特攻作戦に参加したが奇跡的に生還。日本銀行在職中、昭和54年9月、肝不全で死去。著書の「戦艦大和ノ最後」は有名である。
 この著書はわたしに、内面的な思想的な格闘のテーマを与えた。吉田氏はこの著作に収められている、「青年は何のために戦ったか」という小論のなかで次のように述べている。
 ―太平洋戦争が昭和史五十年の方向を決定づけ、その時代の歴史としての帰趨(きすう)の死命をを制した事件であったことは、疑いをいれぬ事実である。しかし戦後30年をへた今、この戦争が日本人にとって何を意味していたかという課題は、まだ解かれていない。解かれていないどころか、正面から問われてさえいないと私は考える。そして同氏は次のように結論づける。
―日本人は、そして特に青年は、何のために太平洋戦争を戦ったのかという設問が、まだ解かれていないという事実は、戦後史のこのような混迷にも、つながっているのではないだろうか。
ところで岸本牧師はなぜわたしに、その著作を薦めてくれたのだろうか。それはわたしが当時、数年にわたって闘いつづけていた裁判闘争のテーマがまさに「戦争と平和」であったからだ。
 1985年3月5日の全国紙は一斉に沖縄デー破防法事件、「扇動罪は合憲」判決、3人に有罪判決、との見出しで記事を掲載した。わたしに対して、東京地裁刑事2部の中山善房裁判長は懲役3年(執行猶予5年)の有罪判決を下した。そして裁判は東京高裁、最高裁とつづくのである。
 昭和19年10月11日、御調郡三庄町神田に住む松本隆雄の三男として生を受けて以来、わたしの人生は「戦争と平和」と切っても切れない関係にあったと思う。とりわけ現在、それは宿命的なものとさえ感じる。
 因島に帰り住むようなことがあったなら、わたしの0歳時の戦争体験を調べねばと漠然と考えていた。そして実際に15年前、家族とともに帰ることになり、因島空襲の調査はわたしの「最後の仕事」とさえ思えるようになった。そして今や因島における太平洋戦争としての因島空襲と真正面から立ち向かうことなくして前に進むことができなくなってしまった。
 いやむしろこの活動をとおして、広島大学―東京時代をこえるばかりの自信を持って生きつづけていく気概を獲得しつつあるような気がしてくる。
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空襲でなくなったわが家の跡地で家族写真をとるのが当時、松本家の習慣であった。
(続く)

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