父のアルバム【24】第三章 教師の信念

父のアルバムや文章を道しるべにした昭和の旅は、戦前と戦後の区切りである20年にたどり着いた。父と息子との間の深い溝を越えよう意図は、ある程度達成したのではないだろうか。

私たちの世代にとっては、戦争の時代としての昭和史はミステリアスなものであった。時代の概略は教えられが、その内容はあたりさわりのないものに限られていた。とりわけ個人のレベルでの昭和史を公にすることは自粛されたに違いない。

事実、戦前の昭和を自分がどのように生きたかを、父が私に話したことは、一度たりともなかった。こうした父の沈黙は、私の思考形成に無視できない欠陥をつくりだのではないか。

22歳の頃のことである。私よりちょうど十歳上の人物から強い口調で次のように批判されたことがある。

―お前たち戦後民主主義教育で育ったものはどうしようもない。お前たちは、自分にも教えてくれ、自分にもやらせてくれと要求する。そこが駄目なんだ。戦前派の俺たちは、人がやることをじっとよく見て、盗み取れと教わったものだ。

その人物からの指摘は少なからぬ衝撃を私に与えた。それを契機に「戦前」に対する私の関心は広がっていった。

「戦前」と「戦後」をまったく異なった時代として把握するのではなく、その両者が継続した時代として昭和史を理解するようになった。

やがて故郷に住み直す機会を得て私の興味は、地域の昭和史へと向った。それはさらに、父の昭和史へと絞られていったのである。父のその時代における生き様を通じて昭和をつかみとりたかったのである。

古い一冊の父のアルバム。私の生まれる前の昭和の日々が溢れていた。その大半が小学校の場面と私のまったく知らない人たち。その一枚一枚について父の説明を聞けたらどんなに楽しかったろう。

その一方で父のアルバムには、家族の写真がないことに気付いた。時代の風潮かも知れないが少し淋しい。私が一番探している写真もなかった。それは、空襲で全壊した、私の生家の写真である。

私の昭和の旅は、戦後に移る。父は戦後をどのように生きたのか。私はそのことをほとんど知らない。ただアルバムを通して想像するだけだ。

戦時下の町民体育大会の写真であろうか。笑顔が弾けている。

(青木忠)

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